「……」
「……」
「あの、ワタル?」
一夜。濃厚な夜だった。春というにはまだ早く、冬はとうに過ぎ去った朝靄の冷たい気配を感じて、ボクは目を覚ました。ゆっくりと瞼をあげる前に、手首あたりにくすぐったい感触を感じて、くすくすと身を捩った目覚め。カーテンが閉め切って、ぼんやりとした薄暗い部屋には二人きり。
あたたかい気配は、きみの素肌だった。
「昨日は、……すまなかった」
そんなきみは、ボクの手首を優しく握ってさするばかり。ひと足早く、ボクより目を覚ましていたみたいで、すっかりボクの手はじんわりと熱を帯びていた。
「痛くないかい?」
「平気。……とっても気持ちよかった」
何を言わせるんだ、君は。と、手繰り寄せたシーツから目だけをはみ出してじとり睨む。対してワタルはきょとりとした。
「ん、気持ちいい?」
「……お、お互いちゃんと通じあってから初めてだったし、……ボクたちの相性はすごくいいとおもうんだ。その証拠に声はガラガラで、……あぁいやボクもきみの背中に傷をつけたからおあいこだよね、でもそれぐらい夢中になっていたわけでこんなにやみつきになったのはこの前採掘に行ったときに見つけた──」
「……ストップ。……そっちじゃない」
ん、と掲げたのはボクの手首だった。そこにはくっきりと指のあとが真っ赤にできていた。昨日ワタルがボクを店から連れ出したときについたんだろう。改めて見ると痛々しい……っじゃなくて。
「そ、っ」
ちかーーっ。もしかして、ボクは今とんでもなく恥ずかしいことを言ったのではないだろうか。気づいて遅く、すかさずシーツを被って逃げようとしたボクを、ワタルは嬉しそうにべりりと剥がした。
「やっぱりきみはずるい」
ワタルはにっこりしていた。
「気持ちよかったんだね。よかった」
する、と腰に手を回されて抱きしめられる。さっきまでの熱が残ったままの身体では刺激が強く、びくりと震えた。あぁ、ボクの身体は正直でなんて淫乱なんだ。
声にならない呻きをあげると、ワタルが優しくおでこにキスをした。数時間前と打って変わってでろでろに甘やかしてくるね、きみ。
「冷静になって不安が湧いてきた」
「……?」
「きみを、傷つけてはいなかっただろうかって。……急にね」
ワタルは申し訳なさそうに目を細めた。
「そんなにヤワじゃないよ」
「知ってる。きみの強さも、しなやかな美しさだって。……でも、折れそうだ」
ちゃんと食べた方がいい、と、ワタルは優しくボクの髪を撫でる。くすぐったいけど、気持ちよかった。
ふぅ、と息をついて、何となく思い出したこと。
「ふしぎだったな」
「……なにがだい」
「まさか、ミクリだって分からなかったなんて」
勘も冴えてるし、職業柄、人の特徴に敏感なワタルが、例えメディアの目から避ける目的であるミクリの変装がバッチリだとしても、気づかないような男ではないから。
そういうとワタルはきまり悪そうにそっぽ向いてしまった。
「どうしたの? きみらしくない」
「……それほど」
「それほど?」
次の一言は、最高の言葉だった。
「きみしか目に入らなかった。……余裕がなかったってことさ……、っわ」
嬉しくて、ワタルの身体を今度はボクが強く抱き締め返した。そして頬を手で挟んで、宣言をする。こっち向いて、ワタル。
ボクの後ろから、カーテンの隙間から溺れおちた光はあたたかく、きみの顔を照らしてくれる。朝日がふたりの肉体を輝かせる。とても、あったかい。この先に待つ未来は明るく色づいていた。なぜなら、そこに。
目を開いた先の、きみの綺麗な、まるで黒曜石のように鋭い瞳に、うっとりしながら。
「ねぇ、ボク、諦めるね」
きみのことを、諦めることを。
その言葉を聞いても、ワタルは何も言わなかった。何も言わず、ピクリともせず、ただボクの少し火照ったままの頬に指先で優しく触れた。その温度は胸が苦しいほど温かくて、微睡んだボクは近づいてきた唇にそっと目を閉じて。
朝焼けを背景に、ボクたちはキスをした。
