あさやけのさき - 1/3

※事後描写がふんわりあるのでご注意ください。

 

 

 

 ボクたちの関係を人に説明するのはとても難しく、まだ明日の空の様子について予測する方が簡単だってことを話せば、人はいかにも石拾いに夢中になっている君らしいと苦笑いをしていた。
 なんだろうか、こんな気持ち、初めてのことだったから。
 まるでいつまでも夜明けがこない、そんな不安な気持ちになってくるんだ。

 

 

 あさやけのさき

 

 

 

「別れたって? きみたちが」

 ボクがふと、酔いが回った勢いで零した言葉。それを聞いて、隣に座っていた男はひどく驚いてボクの顔を見てくる。
 深夜。ボクは馴染みのバーのカウンターでこうしてちびちびとグラスを傾けていた。これで何杯目かはあんまり覚えていない。
 一人で飲む気にもなれず、途中で古くからの友人を呼び出した。ちょっと付き合って欲しい、と一言だけだったのにも関わらず、察しのいい彼は、ボクの仕事の都合でいたカナズミまで、わざわざ言葉の通り飛んできた。行きつけの店で定位置に座っていたボクの隣に座った彼と、最初はたわいない話をしていたはずなのに。
 ぽつ、と零した。好きな人を諦めよう、っていうことを。 

「別れたって、」

 なんて大袈裟なんだろう。冗談にしても出来の悪さに思わず乾いた笑いがこぼれる。

「そもそも付き合ってないよ」
「……あれで?」
「あれで、って、皮肉かい。……ボクは本気だったけどね」
「……ならなおさら。諦めたきっかけを聞いても?」
「……」

 きっかけ。諦めの悪いことで有名なボクが、簡単に手放そうと決めたのは、多分、相手の未来を考え始めてしまったことだ。 

「おやじに申し訳ないから」
「……、本当にそうなのか?」

 本当のこと、言えるわけなかった。だから、やんわり言葉を濁して言ったはずなのに、隣の友人は納得はいっていないようだ。
 でも嘘ではない。おやじにも、周りにも、そろそろ身を固めてもいいじゃないか、みたいなことを遠回しに言われてしまえば、罪悪感がないでもなかった。
 自由奔放にさせてくれた感謝がある。これ以上気遣いをもらえば、なんだか情けなくなってしまう。
 それでも、最後の望みの一滴が枯れるまで、ボクは彼のことが諦めきれなかった。
 彼のことが、それだけ好きだったから。

 

 

『ワタルさまのお見合い、上手くいったようでなによりで』

 その言葉だった。たった一言の、その言葉でボクの足先にあった道はそれはもうなんというか、笑ってしまうほど脆く崩れ落ちていった。
 洞窟を歩いて、突然ボクだけが崖から落ち、ランプが酷い音を立てて割れて暗闇に包まれて、途方に暮れたようなときに似ている。いや、そのときの方がまだマシかも。どうしたらいいか、対策や解決法を知っていたから。
 でも、今回は話が違う。
 好きな人に会いに行こうと、驚かせたくて、こっそりとフスベのきみの家に向かう途中、彼の親族同士が話しているのを偶然にも聞こえてしまった。
 盗み聞きしようとしたわけじゃない。なんとなく彼の周りに取り巻く伝統のしがらみが苦手で、避けようとしていたぐらいだ。でも、足が自然と止まって、耳は嫌なほど綺麗に言葉を拾ってしまった。
 そこから先はあまり覚えていなくて、結局彼の家には行かなかった。行けるわけなかった。
 気づけば海を越え、一人トクサネの家に戻っていて、お風呂も入らずに布団にもぐり、ひたすら目を閉じて寝ようとしても、ぬめりと湿りを感じたネバネバした気持ちと、あの言葉が頭の中でひびきあい、そして気づいた。
 すべて、ボクのわがままに過ぎなかった話だったんだ。

「ダイゴ?」

 ふ、っと、肩を揺らされて現実に戻される。ゆらゆらと、視界がふやけてきて、ちょっと頭も痛くなってきた。すごく重くて、おでこをごつん、とカウンターにぶつけた。グリグリと擦って、駄々こねながらさっきの質問に答える。

「本当だよ。ほんとう」
「ダーイゴ、……きみ相当酔ってるね」
「うー……酔ってない」

 やだ。帰りたくない。まだ、現実に戻されたくない。立ち上がりたくない。帰っても、ボクの隣に彼が立つことなんて、ないんだって、

「ダイゴ、……仕方ないな」

 そんな道の先の暗闇に、目が慣れてない状態のまま、歩くなんてできないから。
 なんて、思っていたら、

「ぅ、つめたい……」

 ひやりとした感触が突然頬を滑って重い瞼を開けた。ぼんやりする視界は照明のオレンジ色に、なんだか黒い影が纏っていた。
 冷たいグラスの感触が気持ちよくて、思わず頬ずりをする。でも、やけに柔らかくて、優しくて、まろやかで、どこか男らしい逞しさ……、と。気づいた時には、あれ、ってなった。酒に溶かされていた脳みそがすっきりしていく。
 バッと勢いよく頭をあげた。びっくりして。グラスでもない。お水でもない。人間の手だったから。指だったから。ボクの頬に触れたその人物は。
 振り返る。そこには。

「……え」

 そこには、ボクの好きな人がボクのことを真っ直ぐに見下ろしていた。
 バーの薄暗い照明が逆光になっていて、上手く彼の顔を細かく伺うことはできず、というか、彼がなんでここにいるのか全然分からなかったから、ボクはただ、

「え、どうして。ワタ──」

 と、動揺していたら急に彼がその大きな手をグワッ、とボクの方に伸ばしてきて、手首を無造作に掴むと勢いよく引っ張ってきたから、急なことに足がもつれて、ほとんど引きづられるような形になって連れ去られる。
 ズンズンと、足を大きく動かして前を進む彼の力は強く、ボクの身体には酒がすでにびたびたに入っていることもあって、ときおりバーのテーブルや椅子にぶつかりながら、転がりでるように店を出た。
 最後に見た、振り返った先にいたボクの友人は、なんとも言えない困った表情で。
 その口の動きは、まるで、「ほどほどにな、ダイゴ」って言ってたように見えたけど、バタン、という音を大きく立てて閉まった扉が問い詰めるのを許してはくれなかった。

 

 

「ま、って、いたい」 

 ボクの前を歩く彼のマントが翻り、ボクの悲鳴に構わずにずんずんと進んでいく。心做しか掴む腕の力もさっきより強くて、本当に、今にも音を立てて折れそうなぐらい痛かった。骨が軋む音が聞こえてくれば、いつもの彼らしくなくてなんだか怖くなった。

「いたいよ、ワタルッ、」

 声を大きく出して、彼の名前を呼んだ。少しピクリ、と頭が動いたように見えたけど、それでも彼は止まってくれなかった。どこに連れてかれるのか、何をここまで彼を怒らせたのか不安になって、思わず声を荒らげて、腕を振った。でも、彼の力はおぞましく、びくりともしなかった。足をふんばって腹の底から声を出した。

「放してくれ!」

 自分でも驚くほどの声だった。ほとんど悲鳴なような声は、深夜帯の静けさによく響いて、そうしてワタルはようやく止まってくれた。かなりの距離を、ほとんど引きずられたような形で歩かされ、気づけばすっかりボクの知らない場所に来ていた。大通りから外れた、ちょっと人目の少ない路地の切れ目。ボクがこんなに大きな声を出しても、誰もいないから注目を浴びることもなかったわけだ。
 ボクとワタルの影を、後ろから迫るきらびやかなネオンが長く濃く伸ばしていた。それが少し、心細くなった。
 沈黙が二人の間に突き刺さる。
 我慢できなかったのはボクの方で、まだ離してくれない腕をほどこうとしながら、聞いた。

「どうして、きみが……ここに───」
「誰だ」

 ワタルが言葉を遮って、ボクは言葉を飲み込んだ。

「誰なんだ」

 握る手が、強くなる。

「……ワタル?」
「だからあんなことを言ったのか、おれとは、おれへの気持ちは」

 様子がおかしい。じりじりと、問い詰めながらボクの方に近づいてくる。後ずさって、逃げようとしても腕は掴まれたまま。すぐに小道のビルの壁にボクの背中がぶつかった。すかさずワタルが覆いかぶさってくる。お互いの息の音さえ伝わってくるほどの至近距離。

「……遊びに過ぎなかったと」

 低い声で、脅すかのように睨みをきかせた言葉だった。

「待って、ワタル。それは、」
「……逃がすとでも思ったか。きみはおれを甘くみているな。逃げるなら逃げてみろ、今度は」
「ッ!」

 顎を掴まれる。仰いだ先には、鋭い眼光がボクを射抜いた。獣のような威圧に、肩が思わず震える。顔が近づいてくる。目を瞑った。

「……?」  

 でも、何も触れられた感じはなく、不思議に思ったボクはそろりと片目だけを開いた。そこには、

「……誰なんだい、さっきの」

 とても、切なく笑うきみがいた。
 ボクはあっけに取られて、というか、そんな表情見た事無くて、そう。
 見とれてしまっていた。
 顎を掴んでいた指が離れる。す、と、下ろしてボクの手を優しく掴みなおした。

「み、……」

 ボクは、そうしてやっと、声を絞り出した。

「ミクリ、だよ」