「ところでお客人というのは」
宴もたけなわ。
お膳を出したり下げたりを繰り返していると、そういえばワタル様のお連れ様の顔をまだ見ていない。てっきりワタル様の隣にいるのかと思ったけれども、あの方の隣には長老様しかいなかった。
「あちらの方よ」
指の差された方を見ると、確かに、里では見たことのない端正な顔が、男衆の中で埋もれていた。長い座卓の横の席、中央あたり。
右から左から、里の男どもから酒をつがれ、次々とあちらこちらの箸から彼の皿に料理が置かれている。煮物に、鍋の具に、おつけものに。
食べなさい、こちらも。食べてみなさい。おいしいから、と言われながら。
「ツワブキ殿。どうかね、ほら、ほら」
わははは、と男衆が笑い声を上げる。気分が良いのかお酒で顔を真っ赤にさせてる様子を、だらしないわね、と、ばあ様たちに怒られているけど、色男様は気にも止めていない。それどころか楽しげに、柔らかく、小さな口を朗らかに動かして、なにか話している。
「失礼のないようにね」
話を聞くと、あの人がフスベに来られるのは今回が初めてのことではないらしい。以前にも何度かワタル様に連れてこられてここで過ごしたという話を、若い女中の間できゃーきゃー騒がれていた。私はふぅん、程度しか思わなかったけど、前回もそうとう人好きな顔を見せて、それはもう、モテモテだったとか。私が旅を終えてフスベに帰ってきたのは昨年の秋。つまり、前に来られたのはそれより昔の話となる。
「飲みねぇ。食いねぇ。いいしゃぶりっぷりだ」
もう一度しかと呼ばれた名前。
ツワブキダイゴ様。ワタル様の大事なお客人。出身はホウエン地方で、どこぞの企業の後嗣だとか。一目見たときの感想は、とにかく整った顔立ちだな、と思った。そして若々しくてなんとも爽やか。
にしてはお酒を飲まれたということは、とっくに二十歳を超えているのだという事実に驚いてしまった。童顔、ってまでは言わないけれども、笑うとますます幼く見えた。
フスベの屈強な男どもに囲まれながら日本酒を盃に注がれているのを見ると、細い腕に、細い首がなんともまあ際立って、折れてしまわないかハラハラしてしまう。フスベには絶対にいない種類の男。
何もかもが華奢なのだ。すらりとして、細身な身体は、ストン、と首が着物の襟に落ちているようになだらかな曲線を描いていた。
本当に着物が大変似合っていらっしゃる。来たときの服装はスーツでしたから、薄い生地の着物だと余計に肉が薄く見えてしまった。羽織を被った状態であぁなのだから、裸になったらどれほど薄いのか、懸念してしまう。おそらく周りの里の輩も同じことを思っているから、ツワブキ様のお皿はあっという間にてんこもりにされてしまった。小さい口に運べども運べどもちっとも減らないのだから、里のおじい様たちには困ったものだ。
遠くからだと声は聞こえないけれども、おそらく、口振りを見るに穏やかなお方。
所作はこの上なく綺麗。箸を手に取り、皿から口に流れるようにお食事を運ぶ仕草は、なんとも上品で。
これは女どもも男どもも惹かれるな、と軽く息を漏らしたものだ。吸い込まれそう。
(あまり見蕩れてはいけないものね)
くわばらくわばら。バチが当たりそうだわ。
済んだお膳を座卓から下げて、宴会部屋を横切る。すると、長老様の隣におられたワタル様が立ち上がった。
里の小さな子どもが騒ぐのを注意していた女性が、その様子に気づいて声をかける。
「ワタル様、香炉をどちらへ?」
「その子たちが持ってきてしまったらしくてね、元の場所に戻してくるよ」
ワタル様の手には、確かに小さな香炉があった。瑠璃と金細工の装飾が見事な、たいそう立派な香炉だ。ワタル様たちの傍を横切ると、ふんわ、と甘い香りが漂ってきて、思わず足を止めてしまう。
何の匂いだったかしら。これは。花のようにも蜜のようにも思える。フスベで重宝される龍脳とも違う、優しい香り。
「あら、もう。お前たちったら」
ちょうどワタル様から隠れるように女性の足元にしがみついていた女の子と男の子がいたずら成功、とでも言うように、顔を見合わせればにしし、と笑いあった。
「にしてもいい匂いだ。きみたちが調合したのかな」
ワタル様がしゃがんで、二人に声をかける。女の子がぽ、と頬を赤らめた。りんごみたいに真っ赤っか。指を後ろで組んでもじもじとする。
「はい。とても好きなお花を加えて」
「おれも好きだなぁ。何の花か教えてくれるかい」
「もちろんです!」
ワタル様に抱きつくと、母親がまた困ったようにおろおろした。
「これおよし」
「構わないよ。……二人とも、灰と炭は扱うに危ない。今度からは誰か大人の人に見てもらうようにな」
男の子はワタル様の羽織をそ、と握った。ためらいがちに、
「匂い袋を作ってみたいんです。教えてくれますか」
「そうかい。じゃあ、一緒におれの部屋においで」
「ワタルさまのお部屋! やったあ」
男の子と女の子はワタル様の足元にしがみつく。歩きにくそうにも関わらず、ちっとも億劫なのを表情に出さないワタル様は、それどころか嬉しそうに笑いなさって、そのまま二人を連れて大部屋を出てしまった。
私も自分の仕事を思い出し、お膳を持って反対側の襖から台所へ向かった。
何回か台所と大部屋を往復していくうちに、宴会場にいた人の数は減っていく。ワタル様のお姿がなくなってから、ますます人の数の減っていった。みんなワタル様とお話したかったんだろう。
イブキ様もいない上、長老様が部屋を出てしまえば、いつもより宴のたけなわの過ぎようは早かった気がする。
「お前、あとはいいからもうおやすみ」
お目付け様にそう言われてようやく私も自室に戻る。襷をほどき、丁寧に腕に巻きながら回廊に出ると、ぐたっ、と太ももの付け根あたりが重くなった。自分は思ったより疲れていたようだ。
回廊は寒く、特に床はひんやりする。寒い寒い、と両手を擦りながら、道を右に曲がろうとすると。
「……あら?」
はらり。奥の角を左に曲がった羽織の裾が見えたような気がした。まさか、あれは。
急いであとを追いかける。あちらの道の奥は複雑なのだ。
慣れていない人は必ず迷ってしまう。小さな里の子どもが、遊んでいるうちに迷子になってしまい、えんえんと泣きながら大人に抱っこされて戻ってくる姿をふ、と思い出した。しかも今日は大雪。月明かりすらも無い道は真っ暗。
豪雪と激しい風がガラス戸を叩くギシギシといった音が、彼の足音を消してしまうのではないかと不安になった。
宴会でたくさんの人が呼んだ名前を、今度は私が。
「ツワブキ様!」
ピタ、と、足が止まった。
身体を半分返して、ゆっくりと、こちらを目だけで見てくる。ちょっとだけ怖くなった。宴会のときにはあんなに和らげだったはずの表情は静かで、こちらを真っ直ぐな目で見てくると、なんだか心が見透かされているような気持ちになった。
震える指で、来た道を差す。
「あの……お部屋は、あちらです。お広い場所なので、よければご案内を」
その言葉を聞いて、ツワブキ様が表情を急にやわらげた。
「あぁ、そうだったね。ごめんね」
思ったより、なんというか、落ち着いた声色だった。だから、拍子抜けしてしまった。もっと、高めの声かと思い込んでいた。
す、と耳通りの、心地よい声色。年相応にも思える。そうか、この人は、こうやって周りの人に話しかけるのか。優しくて、和らげで、耳を痛く刺激しないおっとりとした声。
「きみは優しいね」
ふふ、と、顎に指を当てて笑う。
袖がずる、と剥けて滑り出た手首の骨を、月明かりが白く染めあげた。
目の錯覚か。あれ、とゴシゴシと擦った。でも、次にはツワブキ様は手をまた袖にしまわれていた。
「でも大丈夫」
ひとりで、行けるからね、と言葉を残して彼は消えた。
あれは、……あれは。なんだったのでしょうか。
袖からはみ出た手首に、ぐるりと描かれた赤い痕。私の、見間違いだったのでしょうかと、首を傾げるばかり。
すると、ふんわ、と、甘い匂いが鼻をくすぐった。
「誰か、お香を焚いていらっしゃる……?」
いい香り。ぼー……としてしまう。
いけないわ。ツワブキ様を追いかけないと。身を返して廊下を曲がる。
「……あら?」
けれども、いない。青暗い回廊の先に、誰の姿もみえなかった。まるで、神隠しに遭われたように。
パタン、という音が聞こえた。どこからでしょう。振り返っても、やはり、右には襖が並び、左にはガラス戸が並ぶ。
すん、とまたお香を焚く匂いが強く漂ってきた。けども、右も、前も、どこも、回廊にズラッと並ぶ、あまりにも部屋の数が多いせいで、どこの襖からなのかは分からなかった。
雪は、ますます酷く降りしきる。
