あさやけのさき - 2/3

 ワタル。
 いままで、迷惑かけてごめん。

 お幸せに。

 それが、決断したあとに送ったきみへの言葉だった。それ以来、ボクはワタルに会うことをパタリとやめた。
 お互い忙しい身だ。いままで必死に予定の継ぎ接ぎを縫ってきみに会いに行けてたこと、きみの優しさに甘えられるのは奇跡だということ。そして、いずれ別れが来る日がトントンと近づいてくるのを忘れていたかのように、その傷を癒すまでの思い出を創る機会が与えられてたかのように、ボクたちは奇跡の中のお零れでできた関係だったのだと。
 そう、気づかされて伝えた言葉だった。
 返事が怖くて、リーグ会議のあとになにごともないと振舞って、逃げるように彼の反応待たずに去った。
 それが、数ヶ月前のこと。
 なのに、どうして。

「オフのときは服装がガラ、と変わるんだ。髪もほぐしていたから、別人のようだったかもしれないけど」

 捲し立てた言葉は、親友を盾に使うようで卑怯かもしれない。でも、ゆっくり説明する余裕もないのは、あまりにもワタルの反応がボクの知らない彼の形だったから。
 余裕が無いのは、多分、ボクの心の問題だ。

「……好きな相手かと思ったんだ」
「……え、誰が、誰を?」

 ワタルの返した言葉が、あまりにも予想外すぎて思わず変な声が出る。

「まさか、……ミクリのことを、ボクが?」

 コク、とワタルが頷く。

「正確に言えば──」
「違うッ!」

 それは違うよ。ひどい。……なんて酷いんだ。
 ミクリは確かにボクにとって欠かせない大切な友人だ。一番と言ってもおかしくない。それほど、何度も何度も彼には助けられてきた。かけがえのない大切な人。今回も、それ以外でも、ボクのことを一番に理解してくれている、もはや家族のような関係なんだ。
 ボクが彼に抱く想いの形と、これは明らかに違う。それは、……きみが一番よく知っていたはずだろ。
 何度繰り返し、アプローチしてきたと思っているんだ。ボクは、……ボクが、恋焦がれていた、首ったけの相手は。
 それは。

「ボクが、想っていた相手はッ──」

 と、言いそうになって喉まででかかった言葉を思わず飲み込んだ。
 手で慌てて口を抑える。
 でもワタルは逃がしてはくれなかった。

「もう、別に、いるのか」
「……言わせる気? 相変わらずだね」
「……」
「……」

 沈黙。きみの目に映るボクの表情、なんて、みっともないんだろう。目つきは鋭くしたままで、睨みあげる。
 でも、ワタルはどこか安心したように、ふー、と、息をついた。

「……よかった」

 優しく笑って。

「まだ、間に合ってた」

 する、と、ボクの耳にかかる髪を指の背ですくう。熱っぽい温かさに、びく、っとした。

「言って欲しいな。……ダイゴ」

 きみの、好きな人の名前。 もっと。何度でも。

「……きみが、」

 真摯な言葉。ほろ、と崩れた心の音が聞こえてしまった。だから、折れたのは、ボクだった。

「……うん」

 ワタルがこれ以上なくやわらげに頷いた。それは、ずるいよ。

「……、すきだよ」
「……もう一回」
「ッ、すき、だって」
「誰のことが?」
「ワタルが……」
「続けて」
「……っ」

 もう無理だった。止められるわけがない。自分の心の堰が切れた音がする。

「ワタルが、好きだ」

 どうにでも、なれ。

「きみのこと、諦めたくなんかない……!」

 言った。
 言ってしまった。
 自分でもはっきりとしたものだった。
 もう、戻せない言葉。二人の間に沈黙が続く。実際は一瞬だとしても、ボクにとっては嫌に長く感じて、ワタルの表情なんて見るに恐ろしくて思わず俯いた。二人の靴の先が見える。
 ワタルの指がす、とボクの頬に触れた。グリンと回された視界は上へ。ワタルの顔が、触れられそうなぐらい近くて、わ、っと思わず後ずさりした。でも、遅かった。

「……キス、しても」
「え、まっ……ッん」

 制止の言葉をまたずに唇に噛みつかれる。

「はッ……、ワタッ……んんッ」

  とろ、とした。優しく甘く、涙がでるほど和らげにボクに接してくるのがワタルらしくて好きという気持ちが止められなくなってしまう。
 溢れる言葉はこれだけ。
 好きだ。ワタルが。

「う、……ん、」

 もっと欲しくて。縋るように首に手を回した。応えるようにワタルが何度も角度を変えて、唇を重ねてくる。息継ぎを待たずに、何度も、何度も、ふかく、ふかく、舌を入れて、吸って、噛んで、味わってくれる。何もかもがやさしい。こんなにも力強いのに、ボクを傷つけやしないように丁寧にしてくる。こんなキス、誰もできない。から、
 いやだ。やっぱりボクは。

「んぅ……」

 きみが、心の底から欲しくて欲しくて、たまらない。

「………っは……」
「……っ……」

 長い味わいに満足したのか、ワタルがゆっくりと、離れていった。二人の間に、一本の糸ができてプツリと切れれば頼りなさげに落ちていく。
 ボクは肺いっぱいに空気を詰め込むように息を吸った。すっかり酸欠状態で、くったりとワタルにもたれかかる。対してワタルは余裕なのか、ギュッと一回ボクのことを抱きしめて、ゆっくりと指を頬から首筋まで滑らせると、少し乱暴に襟を剥がし、ボクの乱れたシャツの中、素肌に指を這わせてるのが分かった。うなじをすくい上げるように撫でて、キスをされる。
 なにかいやらしくて、背すじがそれだけでゾクゾクした。

「っ……、ぃッ!」

 耳元で、皮膚がぷつ、という音を立てるのが聞こえた。ワタルが思いっきり首筋に歯を立て、歯型をつけている。舌で舐めあげる温かさにゾワゾワして腰が抜けそうだった。
 急に怖くなってしまい、拘束する腕の中でもがく。

「まって!!」
「!」

 ボクは慌ててワタルを引き剥がした。でも納得のいかないように眉をひそめたワタルはまたボクに覆いかぶさろうとしている。

「ワタル、ダメだ……その、本当に、」
「いいだろう、こんな時間に、こんな道、誰も見ていないよ」

 どうしたんだろう。ほんとうにきみらしくない。耳に寄せられた吐息が熱っぽくて、ボクは一気に頭の上までカッと熱くなった。股の間に滑らせたワタルの足が、僕を逃がさんばかりに強く壁に固定させる。身動ぎですらできない。顔を逸らして目を瞑り、震える声だけで何とか抵抗する。
 ワタルの息が顔にかかって鼻がひくひくした。

「み、てるから」
「だれが?」
「っ……こ、」
「ん……?」
「この子たちが」

 そう言って指さしたのは、腰にあったモンスターボールたち。

「…………」
「…………」

 言い訳にしては苦し紛れすぎたな、って、自分のことながら反省した。ワタルも同じことを思ってたみたいで口元に手を当ててクス、っと息を漏らすと、堪えきれないのか今度は大きく声を上げて笑った。顔が思わず熱くなる。
 くっく、と喉を鳴らして。

「それじゃあ、しかるべきところなら」

 ぼくの手を握って引っ張る。引き寄せられるままにされる。

「きみを好きにしていい、ってことだね」
「……言い方」

 ぎゅ、と抱きしめられて耳元で囁かれる言葉は、ちょっと低い声だった。まるで、もう離さないと念を押すように。

「いいね」

 返事を待たずに、ワタルはボクの手を優しく握りなおすと、くるりと後ろを向いてそして歩き始める。言葉の意味を理解した僕は、うつむいてしまった。心臓の音がうるさい。顔が、熱い。あつい。
 あぁ、ボク、これから。
 好きな人に、抱きしめてもらえるんだ。
 好きな人を、好きって言えるんだ。
 好きな人と、え、っち、するんだ。
 待ち望んでいたことが結実する期待と恥ずかしさと、あとなにかが胸を熱くする。ワタルと繋いだ手が火照っていくせいで、単純だってバレるのがちょっとかっこ悪いからどうかバレないで欲しい。でも、それでも、すごく嬉しくて。
 じわ、と、目頭が熱い。情けないことに、ボクはなんだか涙がこぼれそうになったのをぐっと堪えようと、上を見上げた。
 途中に入った視界には、きみの背中と、カナズミのライトが照らす眩しい光。暗い路地裏から離れていく。
 彼が引っぱってくれる先の歩む道は、とても輝いていた。
 それがなんだか嬉しくて、ボクは眩さと涙腺を誤魔化すために目を瞑った。
 ワタルの手のぬくもりだけが、そこにある。