ふらつく意識の中、溺れそうになった。
「ぅ、……」
身体のすみずみまでだるい。頭はドロドロで、心まで溶かされそうなほてり。腰が重い。胸は熱かった。
ボクは瞼をゆっくりあげた。睡魔がとろ、と頭を溶かしてくるのをなんとか振り払って、身体を起こす。する、と掛け布団が落ちて、寒気が走った。
なにも着ていない肌にとって、フスベの朝は寒すぎる。
服を探しても見当たらない。そういえば、自分で脱いだのではなく、脱がされたという昨晩のあれこれをそこで思い出した。
いつも着ているスーツは、すっかり行方をくらました。彼に聞けばきっと、すぐになんでもないように所在を教えてくれるだろうけど、聞かない方がよさそうだったから、触れないように、触れてしまわないように、あえて避けた。
贈られた着物を、丁寧に、至極大切にめくるように一枚一枚落とされた指使いが脳の裏にこびりつく。周りにちりばめられた布はぐちゃぐちゃだった。
はらりはらりと。花びらを少しずつ捲り剥がすような指の動きを思い出すと、触れられた皮膚が焦げる。
長着に伸ばして、羽織る。彼のものか、ボクのものか、暗い部屋では色がよく見えなかった。
立ち上がろうとすると、
「どこにいくんだ」
「わっ、と」
腕がひっかかって、布団に戻されてしまう。ずる、と掛け布団を頭まで被され、強い力で抱きすくめられた。
「……やっぱり、起きてたんだ」
ふふ、と笑ってたくましい腕に触る。あったかい。
「ずっと、だよ」
「寝ていないの?」
「きみが起きるまで。そして、こうやって腕の中に閉じ込めてから、寝ようと思ってね」
きみは逃げるのが人より上手だ。そう言ってワタルはボクの肩の骨に鼻を埋める。
「心外だな。ほら、見てごらん。ワタル」
ワタルのしっとり汗で滲んだ額を、指で撫でる。ボクに言われてワタルが面を上げた。はらりと、崩れた前髪が目元にかかるのをボクの指の背で払う。
「障子。開けたいんだ」
その指で今度は向かいの障子を示した。
部屋を少しだけ明るくさせたかった。目を覚ましたくて。
襖を開けたら怒られてしまった。ならせめて、障子ぐらいならいいだろう。庭の景色も見たい。
「雪の寒さが入ると困るだろ」
そう言って布団から滑り出そうとした手を、ワタルがぎゅ、と握りしめてくる。足も、絡めて。
「それに」
ワタルがもう一度、強くボクの体を抱きしめて、肩口に鼻を埋めた。呂律が回っていない満足気な声。
「一緒にこうしていたい」
耳元で囁かれれば、ゾワッと痺れが走った。なに、それ。このタイミングで言うかな。普通。
「……ずるいな、その言葉」
「効果てきめんなら、積極的に」
「もう瀕死状態だよ」
「どうだろうな。きみは、限界のときほど油断できないからね」
「はがねタイプは頑丈が自慢だから」
ね、よく知ってるだろ、って顔だけで振り向くと。
「んッ……!」
顎を乱暴に掴まれ、
「ッぐ……、……んぅ……」
「…………ッ……」
唇を齧られる。そのままあたたかい舌がゆっくりと口の中に入ってくる。
「っ……ぁ……ん、んッ……」
きもちいい。あったかい。とろ、と脳が溶けてしまいそうだった。
しばらくそうして何度か舌の柔らかさとか、しっとりした感触とかを味わう。ザラ、と牙を撫でられれば、腰から背筋にかけてゾクゾクしてしまう。まだ、きみがあちこち触ったり、吸ったり、舐めたり、キスしたり。そうして甘やかされた皮膚には十分に熱が残っているものだから。
からかうようなキスは、しばらくするとゆっくりと速度を落とすように離れていった。
ワタルが甘ったるい声で、
「きみを寝かせるまで気が済まないんだ」
「……ふぅん」
「もっと寝ていればいい。時間はたっぷり……あるだろ?」
ワタルの最後の語尾は無邪気だった。子どもがいたずらに成功して、ほら、驚いたでしょ? って言うような口調だった。
煽れば、ワタルは何倍にも返してくるようになった。言葉でも、身体でも。
特にセックスに関しては、酷く激しく抱いて、身体をゆさぶってくるようになったのは、今回のようにボクを寝かせたいという目的のためなのか。
それともそれは建前で……単に満足しなかったのか。
前者だとしたらワタルの勝ちで、後者だとしたらボクの勝ちだ。きみはボクを思いどおりにさせること、ボクはきみの真意を暴くこと。それが条件。
どちらにせよ、分からないものは分からないし、ワタルは教えてくれない。教えてくれない限り、この勝負は膠着状態がずっと続く。
ボクだって教えてあげるつもりはない。変なところ、ボクたちは意固地だ。
「ワタル……、手を、……腕をほどいて」
身じろいでもビクともしない腕の力は確かだ。ワタルがまた、強く抱きしめて耳たぶにキスをしてきた。くぐもった声で、
「きみは無防備だな。前々からずっと言い聞かせたはずなのに、ちっとも変わらない」
「そうかな」
「……ちゃんと一から教えなおした方が、話は早いだろうね」
教える、という言葉が重い。腰も痛いし、声は掠れているのはお互い様なのに、ワタルはまだボクを抱き潰す気でいるらしい。
わかった。わかったよ。今回はボクが折れよう。
「……勘弁して」
その言葉に、ワタルがようやく機嫌を良くした。とろ、として。
「いいこだ」
「ねぇ、きみこそ。今……相当眠いんだろう?」
ふふ、と笑う。
「ボクが寝たら、安心してきみも寝てくれるなら、……今回限り、きみの思うままに」
腕の中で、じっとしていよう。おとなしくしてあげるよ。
「あぁ。……あぁ、そうしてくれ」
やっと、ワタルが深く呼吸をした。人が深い眠りに入るには、まず、呼吸を深くする必要がある。
ワタルは少し、心の浮き沈みがわかりにくい人間だ。感情の起伏の変化が些細な上に、すぐに蓋を閉めてしまう。でも、今の言葉はたまらなく甘いものだったし、優越感に浸っている。
子ども扱いするときは、甘やかしたいときだって気づいたのは本当に最近のことだから。
「……あさが、きたら」
呂律が一瞬回らなくなったのを、たまらなく愛おしく感じたボクも、大概だな。キュン、と胸が疼いてしまう。
そういうところがもっと、見たいんだけどなぁ。
次にはワタルは元に戻ってしまった。
「朝が来たら、一緒に薪割りをしてみないか。鍋をみんなで囲んで、ご飯を食べたら。きみは大好きな石掘りにでも行くがいいさ」
「薪割りは無理だよ。勝手がちがう」
「不格好でも構わない。きみなら、……上手くいくようになる」
ちゅ、と。頬に優しくキスをされれば、汗で乱れた前髪がうなじに擦れてくすぐったい。
「みんな、目が濃いんだ。朝焼けにいたるまでに」
ボクのほどけた髪を彼は指で弄んで、耳にかけてくれる。ワタルの指は、熱をおびたようだった。指は耳を撫でて、頬を撫でて、するりと喉仏に運ばれていく。
「きみのすがたを……かくしておきたい。……いまだけは」
囁かれるワタルの声は、あくまでゆったりとしていた。
「それまで、ともに」
力強くボクの身体を抱きしめる。もう布団から出しまいと。
今度は指も搦めてきた。足も搦めてくる。ワタルの手がボクの手を握りしめれば、血が流れてくるようにドクン、という音が繰り返される。この握り方が好きだ。一緒にいる、って実感が湧くし、なにせとてつもなく、あったかいから。
ワタルの腕からは、ふんわりとやさしい匂いが漂ってきた。いい匂いだ。ワタルの、匂い。
そうか。鼻をボクの肩にうずめたのは、きっとそういうことなのだろう。
ずっと、ボクもこの匂いを嗅いでいたい。ワタルの匂いを、いつか忘れるそのときまでは。
寝たら夢まで匂いはついてきてくれるだろうか。二人別々だった匂いが、共に寝て、共に抱きしめて、その時間が濃厚になればなるほどひとつに混ざり合うなら。
しょうがないな、と、ボクはかろうじて動かせる手を使って、二人一緒に覆うまで掛け布団を被り直した。
睡魔が襲いかかってくる。とろん、と目が溶けてしまいそうだ。夜はあとどれくらいだろうか。朝まであとどれくらいだろうか。
次に目を覚ますときは、ワタルは隣にいないだろうか。それともボクが目を覚ますまでいてくれるだろうか。
せめて。
雪が、もう溶けていればいい、と願いながら、ゆっくりと沈んでいく意識に今度こそ溺れていった。
──いまだけは、ともに
ワタルの言葉をボクなりに言い換えたものを反芻して。
溶けてしまいそうなほどのぬくもりを感じて。
