不覚暁に星は輝く【没③】 - 1/2

着付けワタダイ フスベにて

(第8話没シーン)

 

 雪で埋もれた山奥。二人きりで繰り広げられたポケモン勝負のあと。最高の気分だった。
 二人してくたびれた身体は、スイッチが突然切れたように、ふ、と、力が抜けて、ふかふかな雪で敷きつめられた地面に同時に倒れた。
 ぼふん、と音をたてる。雪は柔らかく、そしてとても冷たかった。
 二人分の身体。ダイゴの身体と、俺の身体。
 その重みで沈んだ雪の深さは初めての体験。フスベのこんな山奥まで、誰かと一緒に入ったのはいつぶりだったろうか。
 もう遠い記憶だ。

「冷たいね。ここは」

 声が聞こえた。すぐ横。
 隣にはきみがいる。きみは空を見ていた。浅く呼吸を繰り返す薄い肺は静かに浮き沈みを繰り返し、目は何かに囚われたようにぼー、としていた。
 白い息がほわんと口から浮かんでは消える。
 ぱち、ぱち、と瞬き二回。
 物珍しいものに魂を引っこ抜かれたのか、呆気にとられている。
 きみの目線を追いかける。
 高い高い位置にある、フスベの空。
 青く澄み切った空は、うっすら白みがかっていて枯木の桜の枝で丸く切り取られている。その丸のふちからは橙色がしっとり滲んできた。
 そんなに時間が経ってしまったのか。夢中になっていた。確かなこと。
 何度でも言う。彼とのバトルは最高だった。
 俺が目線を落として隣を見る。ダイゴも俺を見ていた。俺たちは見つめあった。見つめ合えば、

「ふっ……」
「ふふ、……ふっ」

 なぜだか。理由はわからなかったけれども。急にむず痒くなってしまった俺たちは、二人してくすくすと笑いあった。
 ひたすらに幸せな気持ちが胸いっぱいに満ち満ちて、俺たちは穏やかにずっと、そうして笑いあっていた。
 そしてフスベは夕暮れに満ちる。白く灰色だったフスベの雪景色は、だんだんとあたたかいオレンジ色で染まっていく。
 桜の枝も、脇に飛び出た岩も、そして雪に埋もれる俺たちの身体も。
 俺たちがぼろぼろに溶かしてしまった雪たちもろとも巻き込んで、オレンジ色が落とされていく。
 あたたかい陽の光はここちいい。そう思ったのは俺だけじゃなかった。

「さて、行こうか」

 ダイゴとひとしきり笑いあった俺は、立ち上がる。
 マントにも服にも靴にもこびりついてしまった雪を払えば、まだ雪に埋もれたままくすぐったそうにしているきみ。
 すっかり寒さとバトルの余韻で真っ赤になってしまったその鼻と頬をうかがった。俺の目とバチッ、と合ったきみは、またこれ以上なく幸せそうに笑って、そして差し出してきた俺の手を握る。
 俺は勢いよく手繰り寄せた。  

「最高の気分だよ」

 立ち上がったダイゴは俺の肩を二回叩いてそう言った。
 ほら。やっぱり俺だけじゃなかった。
 きみと肩を寄せあって山を降りていく。
 二人の手の中に、ボロボロになってしまった愛おしいポケモンたちも連れて。
 共に、並んで。

 

 熱中したあとにはつきものがある。
 怪我に、削がれた体力に。そして、それを知ったものたちの反応に。
 怪我やなにやらで服がボロボロになってしまった俺とダイゴの姿を見た屋敷の者の悲鳴は見物だった。ここでも俺とダイゴは顔を見合わせて笑った。今度は困ったように。
 急いでお湯を!お着物を!と攫われてから俺とダイゴは別々にされる。
 勝手が慣れている俺はすぐに湯に漬かり、体を清め、それからダイゴの行く末を辿る。
 案の定、奥の和室で彼は様々な人に捕まって施されている最中だった。

「困ってるようだね」
「そう思うなら助けてくれ」

 見目のいいダイゴはそれはもう凄かった。

「着物は初めてでもないだろう?」

 お湯で清められたダイゴは、今では半襦袢と長襦袢だけを身にまとい、女中の品定めにあれやこれやと巻き込まれている。終わらない長着の選別に突っ立ったままに狼狽している姿。
 その脇では、

「ツワブキさまなら山藍摺でしょう」
「いいえ、檳榔子染です」
「紫紺はいかがです?」

 長着でこの状態だ。帯に、羽織の裏地に、となるともしかしたら宴会に間に合わないかもしれないな。俺も経験がある。

「……スーツを採寸したときのきみの気持ち、分かった気がする」

 いまさらか。
 目を瞑っているダイゴは苦笑いして二回頷いた。相当困っているらしい。
 ダイゴを取り囲んでいる女中の一人に声をかけた。

「あとは俺に任せて、きみたちは自分の持ち場に戻ってくれ」
「ですが……」
「気にしないでくれ。その方が彼もどうやら落ち着くらしい」

 両手にさまざまな着物を抱えていた女中たちは、どれが似合うかしら、どれも似合うかしらねと、顔を見合せながらダイゴにあてがっていたが、俺の言葉となると引くしかないと諦め、とうとう大量の布を丁寧に置き去りにすると並んで和室から出ていった。
 襖が閉まれば、ダイゴと二人きりになる。
 バタバタと遠くなっていった足袋の音を合図にダイゴは軽くため息をついた。ほっとしたように。

「どれもお高いものだろう? ボクのことはいいのに」
「てっきり慣れているかと」
「管轄外だ」

 スーツの採寸のときはあんなに余裕綽々だったダイゴは、今では逆の立場。にしては長襦袢の着方が完璧なのは、おそらく手伝ってもらったからなんだろう。

「きみは……」

 俺の姿をまじまじと見れば、ダイゴは物珍しいものを観察しているような顔をする。いつもと違う姿に、なにか思ったことがあったのかもしれない。
 顎に指を当てる仕草をすれば、

「本当に、似合っているね」
「ダイゴも。きっと似合うさ」
「似合う似合わない以前に」

 足元を見て、

「ここから選べと」

 畳に敷きつめらんばかりに置かれたままの、様々な色の長着。赤に、灰に、紫に。他にもたくさんの色が重なって、まるでキャンバスに広がった絵の具のよう。

「気に入ったものでいいんだよ」
「和色、って細かいんだろう? ボクはあまりそういった類は詳しくなくて」

 さっきのやり取りを見ると、うんざりするぐらいの細かい色の名前を女中から聞かされていたわけで。
 彼にとっては彼女たちの口から出された言葉というものは、知らない言語に聞こえたのかもしれない。

「似合う色とか、分からない」
「無難なのは青系統。これとこれに、あとこれと」

 俺が埋もれた布から選ぶと、ダイゴはその隣に膝をついて座った。並べたそれに、ぽかんとして。

「……なにが、違うの」
「右から中縹、二重緑、鉄御納戸」

 指をさして教えていく。隣は無反応。目線を流すと、ダイゴは目を瞑ってしょっぱい顔をしていた。また別の言語に聞こえたらしい。

「あとこれもだ」

 奥に控えて布の山からはみ出ていたもの。紺より暗く、黒よりは浅い色の布を取り出した。

「褐色」
「かちいろ」

 俺の言葉をそのまま繰り返すダイゴが少しおかしくて笑った。
 かちいろ、かちいろと、小さな口は反芻する。たった四文字の音に、目新しい何かを見つけて。
 言葉を覚えたての子どもが頑張って忘れまいとする姿と同じだった。

「きみに、ふさわしい色かもね」

 俺が膝をついて立ち上がると、ダイゴはまだ正座になってその褐色の布を手に取って広げていた。しげしげと、その濃い色を深く味わう目の様子とは、新しいものを理解しようと観察する彼らしい態度だった。さっき俺に向けた視線とおなじ。

「おいでダイゴ」

 手を取って立ち上がらせる。

「ボク、帯の締め方分からないんだよね」

 ダイゴの後ろに回って、濃い紺地の長着の袖を背中から通してやる。

「女性のものに比べれば簡単さ」
「きみが言うとどうにもなあ」

 中でくしゃくしゃにならないよう長着と長襦袢の袖の人形をキチッと合わせる。その際触れてしまった手の感触がくすぐったかったのか、ダイゴの身体がちょっと捩れた。

「姿勢をまっすぐ、袖をあげて。……そう」

 衿どうしを打ち合わせて腰骨あたりで抑える。腕に引っ掛けていた帯を手に取って、

「今日は俺がやってやるよ」
「……今日だけ?」

 ダイゴはくすっ、と笑った。

「……きみが望むなら」

 前で衿の打ち合わせを抑えている片手を掬いとる。する、と撫でれば彼の指輪にぶつかって冷たい感触がした。

「いつだって」

 耳元でそ、と囁けばダイゴは嬉しそうにしているのが分かった。おちゃめな冗談に、真剣に返した俺の態度がそうとうお気に召したらしい。
 帯をする、と腰に回して一周。巻き付けたそれを後ろで貝ノ口に結わえば、そのあっという間の手際にダイゴが感心したように声を上げた。

「綺麗だ」

 そう言って後ろを腰の貝ノ口を見る。

「さすがだよ」
「大袈裟だな」
「謙遜謙遜。そんなことないって」

 帯を引っ張ってちょっとした整えをすれば文句無しに完璧だった。
 やっぱり、予想通り。身に纏う褐色の着物はダイゴによく似合っている。
 する、と袖から滑り出てきた腕の色。血管が薄く色映えているその眩しいばかりの白柔肌が引き立って、ふさわしいな、と思った。

「……あ、もうこんな時間」

 ダイゴが脇にある座卓に丁寧に折りたたまれていた羽織を手に取ると、ちょうど屋敷の外の方から夕刻を告げる鐘の音が聞こえた。
 宴の時間まで、もうほとんど残されていない。遅刻はこりごりなのか、ダイゴは少し足早に廊下に繋がる襖に向かった。
 俺を横切って。する、っと。
 そのうなじを目で追いかける。白い。真っ白だ。
 目を細めて光を集める。俺の深い黒い目は人に比べて集光力が遅いから。暗闇でなにかを追いかけるときの癖が出てしまう。
 日が落ちた屋敷。和室は薄暗くなりはじめて、薄青い色彩の中で、ダイゴのうなじだけが異質なほど真っ白で。
 さらけだすのが。
 本当に。

「楽しみだよ」

 襖を少しだけ開いた手はそこでいったん止まる。

「……なにか言ったかい?」

 俺の方に振り向いて、目敏く微かな声を拾おうとしているダイゴ。俺の真意に気づいているかは知らない。

「食後の楽しみについて考えていたんだ。きみ、お酒はいけるか?」
「…………それは、」

 訝しげに首を傾げれば、ダイゴは顎に指を当てて、

「日本酒は慣れていないんだよね」

 眉を垂らして笑った彼の肩に触れて和室を出る。
 静かに襖を閉めて、みんなが待つ大部屋に向かった。