不覚暁に星は輝く【没②】 - 1/2

洞窟で採掘するwtdi フスベにて

(第9話没シーン)

 

 フスベの冬の朝はとても寒いことで有名だ。
 皮膚を刺す凍てつく気温は誰だって布団から身体を出すのを億劫にさせる。
 それなのに、屋敷奥に控える台所はすでに忙しなく働いていた。

「ツワブキさまならお出かけされましたよ」

 とても、朝早く。
 台所でコトコト音を立てる鍋から、俺のかける声に反応した女中が面を上げてこちらを振り向いてきた。
 奥からも何人か湧いて出てくる。早朝に台所へ来た珍しい姿に、若い女中も年老いた女中もみんながみんな揃って驚いたが、ダイゴのことを聞けば一斉に納得した。
 彼女たちも俺と同じらしい。
 朝。目を覚まし、隣にいたはずの気配がぱっくりと消えていた。まさか、と思ってすぐに布団から起き上がり、仕切っていた襖を開ければ隣の部屋は空っぽだった。本当にそこで寝ていたのか分からないほど綺麗な布団。だがその上に丁寧に畳まれていた着物と、よくよく見れば布団のカバーに皺が寄っているのを確認して、ちゃんと彼がそこにいたことは事実。
 本当に外に出てしまったのか。
 彼の足のじっとしてられなさというものがここまでだとは思わなかったな。

「日の昇る前のことでしたので。雨戸を開けていましたら、庭を横切ったお姿にめんくらいました。まるでポケモンですよ」
「こんなに寒い朝ですのに」
「見目に似合わずなんてたくましい殿方ですわ」
「そしたら使わない新聞紙をたくさん欲しいとおっしゃいまして」

 彼の無邪気な笑顔に惚れ惚れしたのか、女中たちは一緒になってはしゃいだ声を出す。
 確かに、かまど横にいつも置いてあるはずの捨て紙の高さは若干低い。
 そこで彼の考えていることに気づいて心の中でこっそり苦笑いをした。

「とても気持ちの良いおはようございますをいいながら、こう、サッと」

 菜箸を持ちながら困ったように頬に手をあてる女中たちは顔を見合わせて、ねぇ、と言って頷きあった。
 山間奥の集落に、特にフスベシティは周辺のポケモンも凶暴な上、こおりの抜け道の複雑さに根気負けしたトレーナーたちがなくなく帰ることが多い。
 だからこそ、滅多にないよそ者が来れば話題をかっさらうなんてしょっちゅうだ。
 しかも今回は俺の客人でもあり、あの見目。
 大騒ぎするのも仕方ない。彼はどこに行っても好かれるらしい。微笑ましいな。

「探してくるよ。目星はある」
「お支度のお手伝いを」
「いや、構わない」
「かしこまりました。朝食をご用意してお待ちしております」
「ツワブキさまにも。あたたかいお鍋です、と」
「ああ。行ってくるよ」

 フスベの冬の朝はとても早い。
 というのも、少しでも雪が積もってしまえば家も人もポケモンも身動き出来なくなるからだ。熟練したトレーナーとドラゴンポケモンなら問題ない。だが、まだ皮が薄いミニリュウが凍死しないよう木の焦げる匂いであたため、守ることはフスベにとっては大事な共存の形だった。
 木を山から必要分だけ引いて、運んで、薪を割る。備蓄しないと火を大量に炊くにあっという間に切らしてしまう。電気では到底足りない、伝統を重んじる里の風習。
 春になれば、新しい苗木を里のみんなで山に植える。何年、何十年の時を経て、山には新しい木が徐々に伸びていく。俺たちが今見ている山の姿は、そうして昔の人たちが大切に守り続けてきた伝統が今に届いている証拠。
 俺が小さい頃に植えたものは、どこまで伸びただろうか。
 パキーン、パキーン、と乾いた音が川の向こう岸で聞こえる。山の斜面沿いでは男たちが朝から薪割りに勤めていた。
 その一人が俺の姿に気づく。

「おはようございます。ワタルさま」

 もう一人も気づく。

「どちらへ?」
「くらやみのほら穴に」

 それを聞いた男たちは、朝から行くにしては意外だと思ったのか揃いも揃って首を傾げた。だが問い詰めようとはせず、男のうちの一人が、

「ならあいつを連れてってください」

 あいつとは。
 おーい、と男が呼ぶと、遠くからヤドンがのっそり歩いてきた。
 俺の足元に来ると眠いのか大きな口をあけてあくびをひとつ。なるほどな、確かに、一緒に連れていく方がこちらとしては助かる話だ。

「あそこはここより寒うございますよ。雪にもくれぐれもお気をつけて」
「ありがとう。あとで手伝うよ」

 手を振って里を横切る。
 里と外の境界である大きな橋を渡る。俺とヤドンが歩けば、重みでミシミシ音を立てた。
 橋の下を流れる水の音。山の上で滞っていた氷は少し解れて、川の流れは穏やか。細かい雪片をさらさら流す音だ。
 日の昇る前の薄灰色の光景。
 光はやがて、フスベの脇に控える山から徐々にはみ出てくるだろう。木の焦げる匂いと蒸かす匂いが里の方から漂ってきて、そうしてようやくフスベは身体を起こして目を覚ます。
 いつもの朝。昔からの伝統。
 変わらない光景は故郷としての役割として充分だ。だから、いつかこの地に眠るこの身体は、渇望しているように落ち着きを得る。
 そのまま45番道路に出る。くらやみのほら穴を覗けば、辺りは相変わらず何も見えなかった。

「照らしてくれるか」

 ヤドンは大きなあくびをひとつすると、こころよく洞窟の中を明るくしてくれた。
 くらやみのほら穴は名前の通り真っ暗だ。45番道路から31番道路につながる大きな洞窟は静けさで満ちていて、中を流れる水の音だけが漂う。
 人の歩く気配を辿れば予想通り彼はかなり奥の方まで潜り込んでしまったらしい。ときおりヤドンの助けを借りながら、外の空気よりも何倍も凍てつく洞窟の中を歩いていく。
 コツン、コツン、と俺の足音。ぺたぺたと歩くヤドンの足音。そして。
 奥の奥。カンテラの光がぼぉ、っと丸く彼をくり抜いた。
 その背中が見えて。俺の気配にも気づくことなく夢中で音を鳴らしていた。
 ガツン。ガツン。
 脇にいた小さなココドラが俺に気づいて振り返ったが、トレーナーの指示もないため何もしない。
 多分、主人の邪魔をしないことを優先したのだろう。
 近づいて、先程よりもガン、ガンという耳に痛い音が聞こえたとき。
 ビリ、とした。身体の皮膚。鼓膜。頭の中の脳みそも。
 この感覚はよく知っている。
 殺気だ。人間は集中力がすごいと同じものが身体から滲み出るらしい。
 息を吸って、

「ダイゴ」

 きみの名前を呼ぶ。もう一度。

「……ダイゴ」

 ガン、ガン、という音が響く。

「ダイゴ!」

 背中は振り返ることはない。耳の鼓膜なんていとも簡単に破いてしまうような音を立て、ハンマーを振り下ろすままに壁を砕く。その集中している姿に合図もなく近づくのは危険だ。
 が。
 これはダメだな。声では到底届かない。
 歩み寄ってそ、っと肩に触れたとき。

「ッ……!」

 勢いよく、彼の顔がバッと振り返った。
 背筋を撫でる感触がしてゾッとした。俺が確認したその姿。特に、その瞳。
 目は血走っていた。瞳孔も鋭い。
 普段穏やかな彼とはかけ離れていた姿だった。

「あ……」

 でも、俺の輪郭を縁どった色素の薄い目はゆるゆると光を揺らして、

「ワタル」

 そのとき肩の緊張がほどけた。ダイゴだけではなく、俺も。
 ほっとして。

「随分と熱中してたな」
「ごめん。周りが見えなくなっちゃうんだよね」

 ふぅ、と息をついて彼は額を滑る汗を拭った。ガチャガチャと重たそうな道具を脇に下ろすと傍に置いていたカバンを漁り、取り出したものはポケモン用のフード。それに飛びついたココドラを宥めて、何粒か取り出す。ヤドンにも何粒かくれる。カンテラがあるなら休ませたほうがいいな。

「ヤドン。ありがとう。ゆっくり休んでくれ」

 辺りを明るくしてくれていたヤドンをモンスターボールにしまえば、洞窟を照らすのはカンテラのおぼつかない光だけになってしまった。
 ダイゴと俺の周囲はさっきよりぼんやりしてしまう。
 薄暗い光の中でダイゴが困った様にふふ、っと笑った。

「まさか、ここがバレるなんて」

 ダイゴはあちこちに散らばっていた道具を拾っていく。

「色んな道具を使うんだな」

 関心を持ったことが嬉しいのかパッと顔が明るくなった。

「そうなんだ。採掘には道具が欠かせない」
「ポケモンの力は借りないのかい」
「必要があればね。でも、自分の手で、力で、掘り出すことに意味があるんだ」

 ココドラは与えられたものに満足するとダイゴの足元で、一生懸命爪を動かして壁を掘る。

「ココドラ、疲れてないかい」

 ダイゴの声に反応すると見上げてくる。
 ココドラと目を合わせると、彼は優しく笑って手袋を外す。そして愛おしそうにその小さな頭を撫でた。ココドラは気持ちように唸り声を上げて、ダイゴの手にすりよってくる。
 彼の剥き出しにされた手は、採掘してたには真っ白で綺麗すぎた。泥のひとつもついていない。指も、爪も、皮膚すべてが川で丸洗いされたように艶やかだった。

「せっかくだ。ワタルもやってみるといい」

 ハンマーを渡してきた。泥がこびりついているそれに軽く笑う。

「あまり汚れるわけにはな」
「あ、そっか。朝ごはん……」

 ダイゴの服はすっかりドロドロだった。

「じゃあ、せめてこれだけでもやってみて」

 やらない。という選択肢はダイゴの頭の中にどうやら存在しないらしい。彼はカバンの横に手を伸ばして何かを取り出した。カンテラの光に照らされたのは新聞紙が丸まったもの。皮を捲るように中を開くとゴツゴツした石がでてきた。林檎よりひと回り大きい石。

「これは」
「ジオード」

 首を傾げる。何も言わずに石を見つめるばかりだった俺に、ダイゴは言葉を繰り返した。聞き損じたと思ったらしい。

「ジオード。……知らない?」

 微かだがダイゴの目がパチッ、と光った。あ、まずいな。気づいたときには遅かった。

「そうか。うん。ここはとても素敵なジオードが取れるね。おそらくかつて火山だった良質な土地は、周辺に比べて活動がゆったりと静まっていった。そのおかげで結晶化する時間は急激ではなく、ゆるりとした長い時間を与えられている。いいかい。石っていうのはね、時間が大切なんだ。時間が何よりも大切で」

 少し早口に喋るダイゴは、どこか興奮のスイッチを押してしまったらしく滑らかに舌を動かしていた。噛むことはなく、すらすら淀みのない言葉に俺は口を結ぶしかなかった。
 隙間が無い言葉。

「ホウエンもジョウトもカントーも、他の地方に比べてあまり石は取れないイメージがあるよね。シンオウの地下はなかなかだし、ガラルでは立派な鉱山があるし。あそこの地質はかなり年老いてるから、それもそれでとても魅力的なんだけどね」

 ジオードを手に取って比較的平らな地面に置いた。

「石は、ボクたちがいなかった果てしない時間からの贈り物。ボクたちが、この手で触れられる貴重な過去の姿だ」

 さぁ触って触って、と俺の手に触れた彼は子どものようにはしゃいだ声を出し、目の前の石を堪能することを催促してきた。
 俺がピクリとも動かない手を握って。
 そこでようやくダイゴは思い出す。

「あ、で。ジオードっていうのはね……」

 言葉が止まる。
 ダイゴは何か思いついたのか、指を顎に当てて、うん、と頷いた。

「……全部話すのはどことなくもったいないものだね。よし、割ってみよう。ワタル」
「急だな」

 というかこれを割るつもりだったのか。

「ワクワクしない? いつだって、誰かにとってのはじめては貴重だ」

 手に取っていた俺の手を愛おしそうに撫でてくる。それを目の前の石に触らせて、重ねる。
 冷たい石は、俺の体温で徐々にあたたかくなっていった。

「年をとってしまうにつれ、ボクたちは『はじめて』を失ってしまう。だからこそ、ボクは『はじめて』を大切にしたい。もちろんそれは、ボクに限った話じゃなくて」

 にこ、と柔らかく笑う。

「……きみもね」

 外したままの右手の手袋を俺の手の上に添えた。

「手袋は……うーん」
「サイズが合わないな」
「きみの手はボクより大きいから」

 まぁきみなら大丈夫かな?と言って手袋はカンテラの脇に置いた。ダイゴはカバンからタガネとハンマーを取り出すと、俺の背中に回った。

「薪割りみたいなものか」
「もっと繊細に考えて。そうしないと、大変なことになる」

 後ろから声をかけてくる。姿は暗くて見えない。俺はダイゴから道具を受け取った。

「持って、そう。左手にタガネを。右手はハンマーで」

 暗闇からそ、と手を伸ばして重ねてくる。
 カンテラの光だけで出来た、淡く落ち着いた色彩の中には彼の手だけが浮き彫りになった。
 ダイゴの手は弾けたように白く見えた。
 長い指。薄い手の甲。細くて、小さくて、なにもかも華奢で、怪我をしないよう深く切っている爪は小ぶりで、確かに男の骨を有するはずのその手は、俺の手に重なったせいで柔らかさが強調される。
 けど、俺の手の甲に触れた、ちょうど母指球あたりの皮膚だけが硬かった。マメもいくつかあって、採掘ばかりしている彼の手らしいと気づく。
 一言では表せない。言葉では表しきれない。
 ダイゴの手だけが唯一持つ感触を、俺は誰よりも堪能できている。
 その事実。

「振り上げて」

 タガネを左手で支えジオードを固定し、右手に持っているハンマーを、ダイゴと一緒に持ち上げた。そして、

「打つ」

 バキン、という音が洞窟の中で響いた。遠くで反響して、コーン、コーン、と鳴る。続いて、

「あ」
「あ」

 困ったように笑った声が背中の方から聞こえる。

「力、強すぎたね」

 ジオードは真っ二つに割れた程度じゃ済まなかった。
 バックリ割れた四等分のジオードは、美しい断面を描くことなく中はすっかりバラバラだ。
 卵みたいなものだった。灰色の分厚い石の層でできた殼の中は空洞になっている。空洞には、鈍い紫色や少し濁った水晶がこびりついていた。
 ジオードとは、晶洞に結晶が詰まったものだった。

「……すまない」
「謝る必要はないよ。ボクもね、最初はこんな感じだった」

 ダイゴの声は落ち着いていた。いつの間にか俺の後ろではなく、左隣に座って散らばった結晶たちを愛おしく見つめていた。
 なにかを思い出しながら話すその横顔はおだやかだった。

「おやじ……、父親からひとつひとつ教わりながら学んでいった。最初は分からないことばかりで、ジオードさえ上手く割れなかった。台無しにしてしまった、と嘆いていたボクに、あの人はいとも簡単にこう言ったんだ」

 粉々に割れた水晶のかけらたちはダイゴの手によって丁寧に掬われる。
 カンテラのおぼつかない光を浴びると、細かい粒子にひとつひとつ反射して鋭く光った。
 不思議だった。

「美しいだろう、って」

 粉々に砕かれたものはダイゴの白い手の上でなによりも輝く。濁っていたと思っていた水晶は透明で、鈍い紫色は濃いアメジストだった。

「そう。これは……、たまらなく美しいものなんだよ。ワタル」

 かけらを失わないよう拾い集め、丁寧にひとつひとつ新聞紙の上にのせていった。

「だからきみが謝ることはひとつもない」

 すべて集め終われば新聞紙にくるむ。俯いていた顔をようやくそこで上げて俺を見つめてくる。真っ直ぐな瞳。

「……ね」

 新聞紙はカバンに、またダイゴの左手は忙しなくガチャガチャと漁り始めた。

「さて、あと少しで終わるんだ。ちょっとだけ、待って──」

 ──、て。と、続けようとした言葉を、ダイゴが飲み込んだ。

「手」

 声を出したのは俺の方だった。

「もっと、触っていたい」

 ガラン、という音を立ててピックが落ちた。左手に持っていたもので、右手に持ち変えようとした彼。
 でも出来なかった。
 手袋を外したままの、剥き出しの右手は俺が封じていたから。

「急に、どうしたの」

 採掘を再開すればその手は手袋で隠される。体温も、皮膚も、すべて、すべて。
 味わうことが出来ない。俺から目を離して、きみは別のことに夢中になって。

「……ッ」

 するすると撫でる。撫でれば、身体が分かりやすく反応した。びく、って。

「ぁ……その、触り方」

 手の甲を俺の手のひらで閉じ込めた。
 ダイゴの手の形をなぞるように。爪の先から指筋をするっ、と指の股に向かって撫で上げ、皮膚と骨を味わった。
 指と指の間に俺の指を差し込んで、ぎゅ、と握る。
 ぎゅ、ぎゅ、と開いて閉じれば。そこでダイゴの様子を見た。案の定。

「……ッワタル、」

 ダイゴがムズムズする。
 手を振り払おうとしたのを俺は許さじとしてぎゅーっと、握った。
 どくどくと流れる脈の鼓動。たしかに、命を感じる。
 皮膚の柔さ。そこに骨があって、血が流れる。血の流れは体温に昇華し、きみの生を象徴する。そこに俺の手の体温と脈の音がドクドクと流れていって。
 それで。きみのその顔の真意は。

「いま。なにを考えたんだ」

 きみは面白いほど動揺した声を上げたから、もっとぎゅ、っと強く握った。

「素直に言ってくれたら嬉しいよ」

 さぁどうする。俺の手が離れない限り、採掘は続けられない。俺はこの手を離すつもりはないし、解放するに条件はたった一つ。単純なことだ。
 単純なことだけど、ダイゴにとっては複雑らしい。
 大きな目はぱっくりとして、顔は茹でたように真っ赤に染った。
 朝食の時間まで、おそらく一時間もない。よそいきで遅刻なんて怪しまれるだろう。特に夜明け越しの二人揃った遅刻は勘違いの尺が違う。

「きみって……。な……」

 ダイゴはもごもごしていた。さっきとは違う様子だ。真反対の反応。石や採掘についてはあんなに淀みなく語っていたその口は、

「なんて人だ……」

 喉をつまらせながらそれだけを吐いた。
 静かな洞窟。きみの声はとてもよく響いて、俺の耳に反響した。