不覚暁に星は輝く✱r18 - 9/34

「岩盤が、脆くなってた」

 多分、海水による風化かな、と、ダイゴは息をあげながら話した。脱いだジャケットを絞ると水はぼたぼたに落ちていく。

「……きみの生命力の強さ、わかった気がするな」
「それはどうも」

 空洞は大人二人が寝転ぶにはギリギリの大きさで、潮がかろうじて届かない高さにあった。
 風がよく通っているから酸欠の心配はなさげだった。
 ペンライトを手に持ってぐるりと回すと、やはりかなり狭い。壁という壁に囲まれている。偶然できた鍾乳洞みたいなものなのだろう。
 ほとんど真っ暗だった。
 服が吸ってしまった水の跳ねる音と揺れる音だけが、辺りに漂う。

「朝方に、水が引くから、そしたら降りてトクサネに帰ろう。それまで……」

 ダイゴはポケナビをカバンから出したが、くるくる画面をいじってもすっかり壊れてしまっているらしく、うんともすんともいわない。

「うん。改良の余地があるな」

 ポイ、とそれをカバンに投げ捨てて今度は別のものを取り出した。小袋を二つ。それに缶詰を二つ。さらに、ペットボトルの水を三本並べた。

「食べるかい? 保存食でよければ」

 どうぞ、と言うように手で促した。

「……いただくよ。お腹がすいたら」
「そう?」

 彼は今度はカンテラの骨枠だけのものを取り出した。

「ペンライト、こっちに」

 差し出してきた手の上に、俺はペンライトを渡した。くるくるとペンライトの先を回して分解し、それをカンテラの中に上手く取り付けると、辺りがぼんやりと橙色に明るくなった。ようやくダイゴの表情がほのかにわかる。彼は、やっぱり疲れていた。
 顔が、血を全部抜いてしまったかのように真っ青だったから。

「………………」
「………………」

 沈黙が続く。
 寒さに濡れた水が滴る音。ぴちょん、と反響する洞窟の冷たさに、俺は腕をさすった。

「濡れてばっかりだ」

 先に口を開いたのはダイゴのほうだった。隣を伺えば、膝を腕で抱えて、喉を鳴らして笑っていた。この状況に困ったというよりは、おかしいね、とでも言うような笑い方だった。

「初めて出会ったときも、たしか、キミが引き上げてくれたんだよね」
「……あのときはカイリューがきみを掬いあげたんだよ」
「へぇ、そうだったんだ。今回も修行のためだったりする? キミは、ストイックなんだね」
「……」

 黙る俺に、ダイゴは笑うだけだった。カンテラの明かりは、ぼう、と、彼の白い顔を浮き上がらせる。
 俺は隣を見るのをやめて、正面の、さきほどダイゴが壊したついでにできた小さな海を見た。ゆらゆらと、黒い水が揺らめいている。底が見えないなにかは、ゾッとさせる不気味さがある。
 フ、と笑った。

「あたたかいホウエンに、こんな寒いところがあるなんてな」

 地面に手をついて仰いだ。そして息を吐く。白いモヤができたってことは、おそらくかなりここは温度が低い。
 体温を奪われるわけにはいかないな、と、俺はマントを外した。重さが無くなれば肩が軽くなる。
 海水で乱れた前髪をかきあげた。

「ここは、こおりのぬけみちを思い出すよ」
「こおりのぬけみち?」
「俺の故郷の近くにある、氷で固められた洞窟があるんだ。少し、迷路みたいに入り組んでいるから、ジムに挑戦に来るトレーナーがだいたいそこで諦めてしまう」
「キミの故郷って……」
「フスベシティ」
「へぇ、やっぱり」
「やっぱり……?」

 怪訝に思って、ダイゴの方を見る。ダイゴは、あ、と、口を開けて俺の視線から逃れた。

「……ドラゴン使い、といえば有名だよ」

 上手くはぐらかされた気がする。
 問い詰めようとしたのを、ダイゴは急にハッとしたように顔を上げて俺を見てきたから、俺は口を噤んだ。前から思ってはいたが、本当にコロコロ表情が変わるな。

「キミの話、そういえば何も聞いてないな」
「あのときは、きみが、……隕石に夢中になっていただろ」
「……ふふ、ねぇ、……拒絶したのはキミが初めてだったんだよ。みんな、受け取ってはくれるんだ」
「拒絶されたにしては、なんだか嬉しそうだな」
「……嬉しそう? ボクが?」

 ダイゴは、きょとん、とした。そして何か珍しいものを見つけた子どものように優しく笑った。
 ずっと、聞きたかったんだけど、と話を続ける。

「キミは、どうしてホウエンに来たんだい」
「……俺は、……」

 ふ、と。思い出した情景。血とバトルの匂いが染みた、敗北の瞬間が頭をよぎって言葉が詰まった。どろりとしたものが喉を絡めて。
 ダイゴは、じ、と待っていると、なにか思ったことがあったのか、

「……、……質問を変えようか。キミの故郷の話をして」

 そう言った。

「フスベシティは……、冬が厳しいんだ。さっき言ったように、こおりのぬけみちの先の山間にある。ドラゴンポケモンにとっては、格好の修行場所で。……フスベシティのジムは、ポケモンリーグ制覇、つまり、チャンピオンロードに至るまでの最難関という評判で有名だよ」
「へぇ……」
「ジムリーダーは、俺の従兄弟が務めてるんだ」
「そうなんだ。すごいね。ホウエンのルネシティにはね、一番攻略が難しいと言われているジムリーダーがいるんだ。ボクの友人なんだけど」
「ルネシティは以前行ったことがある。フスベ出身のドラゴン使いがいるんだ。少し、話してきた」
「ミクリには、会ったかい?」
「ミクリ?」
「今話したジムリーダーだよ。でも、その反応だと会っていないみたいだね。かなり強いんだよ。ミクリ、すっごくね」
「ほう、……そこまで言うなら勝負してみたい」

 少し考えて、思ったことを吐き出した。

「きみとも、一度戦ってみたいって思っていたんだ」

 ダイゴは、その言葉にポカン、として。
 ボクもだ、と言った。

「同じことを思っていたんだ」
「きみ、強いんだろ?」
「もちろん。キミも、だろ?」
「勝負しよう。いますぐに」
「ボクのボールは一個もないのに? どうやって? キミと生身では戦いたくないな」
「フッ……」
「しよう。必ず。まずは、……ここから出られたら、ボク、負けないから」

 キリ、とした顔でそういった。
 俺たちは、ぷ、と、顔を見合わせて、そしてくすくすと笑った。なにかちぐはぐな会話がおかしくて、笑いあった。
 ダイゴが口に指を当てて、くっく、と笑うと、

「そっか……キミのふるさとは、キミの地方は、まったくこことは違うんだな」
「全然違うよ、匂いも、温度も、風の強さも、……自然も、ポケモンも、人も」

 それを聞くと、ダイゴは、ふー、と深く息を吐いた。そして吐き出した言葉は、

「……行ってみたいな」

 意味深な、言葉だった。

「来れば、……──」

 いい、と。俺は簡単に言おうとした。けど、言えなかった。
 ダイゴのほうをふと見ると、彼はゆったりと笑っていた。瞳が、なにかを秘めたように揺らめいていたから。
 吸い込まれそうだった。深い色は、深淵を覗き込む不安と期待を意味している。

「ジョウト地方なら、きっとボクの知らない石がたくさんあるんだろうね」
「……そうだろうな」

 少し気まずく感じて、ダイゴの方を向くのをやめて正面の壁を見る。
 話題を変えよう。ちょうどよく思い出したのは、先日の和歌。

「そういえば、……俺もきみに聞きたいことがあった」
「聞きたいこと?」
「久方の、光のどけき、春の日に、静心なく、花の散るらむ」

 急に和歌を紡ぐ俺の声に、ダイゴは怪訝な顔をした。

「百人一首? 有名な歌だ」
「昨日のラジオで偶然聞いてね」
「あぁ、深夜の討論番組? おやじが最近話していたような……それがどうしたの?」
「きみなら、どう解釈するんだろうな、っ……て……」

 そう言うとダイゴは、ぱち、ぱち、と二回瞬きをした。

「そんなこと、はじめて言われた」

 ずい、とダイゴは身を乗り出した。

「興味深いな。ねぇ、なぜそう思ったんだい?」
「近い、近い」

 手で制して、思わず苦笑いをした。ダイゴはそれでも食い下がらない。

「なんとなくだよ。和歌を聞いたら、きみのことを思い出したんだ」
「和歌で、ボクを? キミが、ボクのことを? なんとなくだって!」
「おかしいかな」
「おかしい以前の問題だよ。やっぱり、……キミとは出会った瞬間から感じたことがある」
「……?」
「キミは、ボクとは違う感性を持っているんだ」
「……それは、俺に限った話じゃないよ」
「そう。そうだ。だからなんだよね」
「なにがだ。……近いよ。近い、」

 ずい、と、またこっちに近寄ってくる。俺がひとつ下がれば、また、ひとつ。狭い空間に逃避行なんてできない。
 すぐに背中は壁にぶつかった。

「離れてくれ」

 トン、と肩を押すと、ダイゴはようやく離れて顎に指を当てた。

「解釈か……和歌のことはそんなに詳しくないから、なんとも言えないけど。そうだね、自分の好きなものと重ねて言えることはあるかな」
「自分の好きなもの?」
「つまり、作者は、桜が好きだったから、その儚さに嘆いているんだ。その気持ちはすごくわかる」

 彼は座り直して仰いだ。思い出したかのように話す。

「いつだって、終わって欲しくない瞬間はある」

 まつ毛が揺れた。すこし、寂しげに彼は笑う。

「……」
「……」

 しん、と静まる。ダイゴは少し呼吸を落ち着かせて、ゆっくりと話しはじめた。大切な思い出を、苦い味がして無理に飲み込むように。
 そんな、印象だった。

「ボクはね、最近、すごく素敵な子に出会ったんだ。そして、……」

 躊躇っているのか。ダイゴは急に声を落ち込ませた。

「負けた。あの子に」

 その声に、俺は、ドキ、とした。あまりにも真剣で、そして、彼らしくない声に聞こえたから。

「これでもね、自分の力に自信はあるんだ。すごくて、つよくて、一番だって。ポケモン勝負は昔から生きがいだったし、……夢中になってた。自分は、自分の強さを信じて疑わなかったんだ」

 嵌めた指輪を弄りながら彼はぽつりぽつりと語り始める。

「でもね、負けたとき、不思議とね」

 一拍、噛み締めるように、

「……たまらなく悔しかったけど、」

 少し顔を歪めた。でも、最後には、

「……それ以上に嬉しかったんだ」

 はにかんだ。

「……キミは?」

 俺を見て聞いてきた、その姿は。
 眩しすぎるぐらいの、完成された原石のようだった。

「そういう瞬間、感じたこと、……あるよね?」

 質問じゃなかった。確認だった。
 その言葉で、思い出したのは。

「……俺は──」

 悔しさなんかじゃなかった。あの、瞬間に抱いた感情がぴったりと重なった。
 言葉が続かない俺に、ダイゴは、満足したように笑った。
 ライトが、切れた。
 また、洞窟が真っ暗になる。
 ダイゴの表情が、姿が、一瞬、暗闇に消えた。
 俺はたまらず彼の名前を呼んだ。

「ダイゴ」

 ガタン、と、カンテラが音を立てた。転がってしまったそれは、俺の手にぶつかった。
 暗くてよく分からないが、ダイゴがおそらくライトを取り替えようとしたらしい。
 暗闇に、動揺した声だけが響く。

「いま、……なんて」
「え、いや。名前を呼んだだけだよ」

 そう言って、隣を向く、と。
 パ、と。切れていたはずのライトが、また点いた。

「!」

 ダイゴの顔はすごく近くにあった。それこそ俺の鼻と彼の鼻がぶつかりそうな、ゼロ距離。
 ぐん、と、近づいてしまった隙間のないその距離に驚いた。ダイゴも、驚いていたが、背けようともしなかった。
 呼吸が、交わる。

「……やっと、名前を、……」

 ダイゴは愛おしそうに笑った。
 愛おし、そうに。

「……ねぇ、いいかな」
「なんだい」
「きみの名前、……ボクが、呼んでも」
「……いつでも許可なしに呼んでるじゃないか」

 お好きに、と言えば、ダイゴは切なく、でも嬉しそうに笑う。息を吸って、

「……ワタル」

 たった二音が消えた、たった三音。
 まぶたが震えた。心臓が震えた。

「ワタル」

 鼓動がきみの声と重なって、俺は。

「ワタ……」

 たまらなく飲み込みたくてきみの唇にかぶりついた。

「ぅ、……ん……」

 ダイゴの吐息が流れてくる。温かい舌のぬめりけを絡ませればくちゅ……、という音が響いた。
 答える代わりに、必死に彼は舌を絡めてくる。慣れているかのように、舌の裏を吸い、歯列をなぞった。

「……っは……」

 数秒。しかし、長いひととき。
 唇を離せば、ゆっくりと二人の混ざった液体が、つっ、と細い糸を作って、切れて、落ちていった。
 ダイゴが唇を拭ってぽつりと漏らす。ぶるる、と震えた。

「さむ、いね」
「……そうだね」
「でも、キスをするとこんなに暖かいんだ……」

 中に着ていたベストのボタンに手をかけると、ダイゴはそれを肩から抜いた。すとん、と落ちたのはぐっちょり重くなっていたせいだ。滴り落ちる水は、地面を湿らせる。

「……もっと、あったかいこと、しない?」
「悪い冗談かなにかかな」
「悪い話ではないとは思う。冗談でも、ないよ」

 ボクはね、と、反響した言葉ははっきりしていた。ダイゴの目付きがぐらっと変わって、色が濃くなる。見据えるそれは、獲物をとらえた獣のように鋭かった。
 俺は、顔を歪めた。

「……俺はきみとセックスなんてしない」
「キスはしたのに?」
「…………」
「ひとつの過ちだと思って」

 ピタ、と。その言葉に身体は硬直する。

「俺は、……間違いなんて犯したくない」

 そう言うと、ダイゴは、分かりきっていたかのように笑った。

「知っているよ」

 俺の頬に手を伸ばしてくる。

「だから、……すべてボクのせいにするといい」

 今度は、ダイゴが勢いよく俺に噛みついてきた。そのまま、二人一緒に後ろに倒れて。
 落ちた先。地面は、濡れていて、とても冷たかった。