不覚暁に星は輝く✱r18 - 8/34

 トレーニングでくたくたになったポケモンたちの様子を伺いに、ポケモンセンターに足を運んだ俺は、チルタリスがまだ少しだけ落ち込んでいるという話を聞いて、せっかくだから他の手持ちとまだ遊ばせておこうと、今日一日はそっとしておくことにした。
 人間の勝手は断じて許されない。いつだって、ポケモンの気持ちを考えて寄り添うことがトレーナーとして当たり前のことだ。彼らだって心がちゃんと、あるのだから。

「それでは、また明日に」

 受付から踵を返して俺は外に出た。
 ちょうど、そのとき、大きな轟音が聞こえる。ポケモンセンターの外にいた人々は、みんな立ち止まり、空を見上げて歓声をあげている。
 なにごとか、と、俺も目で追うと、ちょうどロケットが高く高く、空に消えているさなかだった。
 誰かが拍手をした。また、誰かが拍手をした。ロケットの無事を願って、町の人々の歓声と拍手は輪を作って広がっていった。
 俺は、また空を見上げた。すっかりロケットは見えなくなっている。白んだ青空には、ただ太陽が眩しく、そして、燃料の匂いは消え去って潮の香りが戻ってきた。
 太陽の眩しさに手で塞いでると、海の向こう側に小さな洞窟が見えた。
 散歩にはちょうどいいか。

 

 

 洞窟の中は外の暖かさを忘れさせる。それぐらいひんやりしていた。固い地面を踏みしめるたび、干上がってできていた塩の固まりがしゃりしゃり音を立てた。通りすがりのじいさんに聞くと、ここは浅瀬のほら穴と言ってこの時間帯には塩ができるらしい。
 そのまま奥まで下っていく。
 途中で風化で自然にできた階段を見つけ、その下から冷気が肩を撫でてきた。温暖なホウエンに異様な気配に好奇心が勝つ。
 下っていく。すると、足元になにか落ちてきた。
 つららだ。

「氷?」

 最後の段差を下りると開けた空間は全面氷で固められていた。とてつもなく、寒い。腕をさすって、さすがに冷えるな、と、引き返そうと踵を返す。
 が、立ち止まった。どこからか鳴き声が聞こえた気がして。

「……ポケモンの声」

 俺は階段を登ろうとした足を止めて、声が聞こえた方に向かう。地下二階、さらに奥に入っていくと、ひらけた空間にまた小さな洞窟のような大きな窪みがあって、さらにその奥、行き止まりの壁から微かなものだったが確かに聞こえてくる。
 寒さに震える声だ。急いで壁に駆け寄った。しゃがむと子供ひとりが入れそうな穴があった。
 覗く。そこには。

「……見つけた」

 丸まって、覗いてきた俺の顔に怯えているタツベイの姿があった。威嚇の声を上げる。
 だけど元気がない。鼻をすすると、血の匂いがした。怪我をしているのか。

「でておいで、大丈夫だ」

 声をかけても意味がない。すっかり怯えきっている。どうしたものか、と顎に手を当ててかんがえていると。
 ジャリ、と、音が後ろから聞こえて弾かれたように後ろをむく。
 そいつは悲鳴に似た声を上げた。

「……、ワタル、くん?」

 俺は驚いた。
 そこには。俺の名前を呼ぶ、顔を寒さで真っ赤にして立ちすくんでいるダイゴの姿があった。
 彼は、ハッと気まずそうに目を右に左に逸らすとかぶりを勢いよく横に振って、そして大股でこっちに近づいてきた。
 様子がなにか挙動不審で俺はひっかかりを覚える。

「どうして」
「どうしてキミがここに」

 言葉が被る。ダイゴも、あっ、と声を出した。

「……俺もいま、まさにそれを聞こうと思ったんだが」

 彼は、はじめて会ったときと同じスーツを着て、片手にはボストンバックを提げていた。
 駆け寄って俺の隣にしゃがむ。

「誰かいるの?」
「タツベイが、奥に」
「……血の匂い。怪我をしてるんだね」
「あぁ、……治療をしたいんだが、」

 ダイゴと一緒に、穴を覗き込む。タツベイがかろうじて入れるほどしかない狭い空間で、タツベイは唸り声を上げながら相も変わらず俺たちを睨んでいる。
 目をつりあげて、ギラギラさせて。

「かなり警戒しているみたいだ」
「ひどいな……タツベイはりゅうせいの滝にしか現れないはずなのに」
「捨てポケモンなんだろう」

 その言葉に、ダイゴは、ぴく、とさせた。

「……」

 真顔になって歯を食いしばっていた。怒っているんだろう。気持ちはすごくわかる。

「はやく、手当をしないと」

 ダイゴはボストンバックからキズぐすりを引っ張りだした。俺は頷いて、タツベイを穴から出そうと右手を伸ばす。
 タツベイはビビって声を荒らげると、勢いよく俺の手に噛み付いた。

「…………」

 ガブ、と。牙が手の甲と骨を抉る。血が、だら、と出た。

「血が!」
「大丈夫」

 ここで動揺したらダメだ。俺は、じっと、タツベイを見据えた。タツベイも俺をじ、と睨みあげた。

「痛みには、慣れている」

 タツベイは牙をさらにくい込ませた。手の骨がメキメキ軋む音に、ダイゴが痛そうに顔を歪める。
 でも、止めはしなかった。ダイゴも経験があるのか、俺の気持ちを把握しているのは確かだ。何も言わず、ただ見守ってくれていた。
 数秒、数十秒、経って、牙はくい込み続けた。甲を流れる赤い血は、腕を伝って、地面にポタ、ポタ、と、落ちていく。
 それでも、じ、と、タツベイを見つめ続けると変化を感じた。
 目の瞳孔が、鋭いものからやがて柔らかいものに変わっていく。
 タツベイがゆっくりと口から俺の手を解放する。すっかり、血だらけになってしまった俺の手を優しく舐めてきた。
 もう、大丈夫。すっかり警戒を解いて俺に委ねてくれた。
 左手も伸ばして、ゆっくりとタツベイを穴から引きづりだした。
 持ち上げると、足に傷と、寒さですっかり凝固した血がべっとりついていた。
 ダイゴがすかさずキズぐすりを施して、そして、

「ワタルくん。これを」

 俺にモンスターボールを渡してきた。俺は頷く。

「タツベイ。よければ俺のところにおいで」

 優しく言うと、強い眼差しで俺を見上げた。俺が握っているモンスターボールに優しく頬を擦り付けると、最後に、もう一度俺の手を謝るように小さな手で触れた。そのままモンスターボールに吸い込まれていった。
 抵抗はなかった。三回揺れて、カチ、という音が聞こえる。

「いい子だ」

 ダイゴと俺は一緒になって肩の力を抜いた。

「最近多いんだ。……捨てポケモン」
「ドラゴンタイプは寒いのが苦手なんだ。……殺す気でいたな」

 ダイゴは俺の手に収まっているタツベイのボールをやさしく撫でた。

「ポケモンは何も悪くない。それなのに、……本当に酷いよ」

 俺は、じ、と、モンスターボールを見つめたあとポケットにしまった。ベルトは置いてきてしまったから。
 一方でダイゴはまたカバンをゴソゴソと漁り出した。

「はやく、ちゃんとした処置をしないと」
「そうだね、ポケモンセンターに」
「違うよ」

 ダイゴは、ん、と言って手を差し出してくる。

「なにかな」
「キミの手だよ」

 俺は、あ、と声に出した。ぽちゃん、と手から滑り落ちた血が一滴、地面を濡らした。

 

 

 ダイゴの応急手当は完璧といっていいほどきちんとしていた。消毒の仕方も包帯の巻き方もなにもかも丁寧で、無駄な動きは少しもなかった。慣れているのかもしれない。
 綺麗に巻かれた白い包帯を眺めて、手のひらを開けたり閉じたりする。まったく、窮屈でななかった。

「まさか、今度はボクがキミの手当をするなんてね」
「怪我が絶えないな、お互い」
「ふふ、ポケモンと関われば切っても切れない関係だよ。小さい頃は、冒険の生傷が絶えなかった」
「違いない」

 カバンに道具をしまって立ち上がった。
 そのとき、ミシ、という音が聞こえた。遅れて、パラ、と屑が落ちる。上を見上げるとちょうどダイゴの頭の上あたり。
 なにか様子がおかしかった。
 不自然な割れ方だ。そしてガスの抜けるような匂いがする。
 クシューッという音がかすかに聞こえて。

「さて、そろそろ……」
「ッ危ない!」

 ちょうどカバンを拾おうとした彼の頭の上、大きなヒビがミシミシ、と音を立てた。急いで彼の腕を掴んで手繰り寄せる。すぐ真上で爆発音がした。

「ッ……!」
「った!」

 足がもつれた勢いで俺たちは窪みの奥へ重なって倒れ込んだ。背後から迫りよる、大きな音を立てて瓦礫がバラバラと上から崩れてきたのを、二人して振り返って確認した。
 光を失った空間は一瞬で静まり暗くなる。
 パラパラ、と。屑が落ちてきた。
 窪みを出る唯一の入口は、完全に瓦礫で埋もれてしまった。つまり、完全に俺たちは閉じ込められた。
 俺とダイゴはお互いを見た。

「きみ、手持ちは」
「残念ながら」

 ダイゴは手をあげて首を振った。

「……こんなところにポケモンも持たずに来たのか?」
「それを言うならキミもそうだろ」
「みんな、ポケモンセンターで休ませていたんだ」

 タツベイは疲労しきっている。頼むわけにはいかない。
 俺とダイゴは立ち上がって、一緒に瓦礫で埋もれてしまった道を空けようとするが、岩の量は半端ない。

「ボクの家、ここの近くなんだ。トクサネにある……んだよねッ!」

 ダイゴが大きな岩をどかした。すっかり埋もれてしまったカバンを取りたいらしい。

「へぇ」 
「たまに、小さな子どもや観光客が満潮になるのを知らずに迷子になることがあるから。その見回りで来たんだけど」

 確かにカイナシティで彼が話した宇宙センターはトクサネにあった。

「……そしたらキミがいたから、ほんとうに驚いた」

 瓦礫をどかすのを諦めたダイゴは、しゃがみ、瓦礫の下で埋もれているカバンを引っ張ろうとした。
 が、なにかに気づいてまた立ち上がった。

「つまり、ね」

 ダイゴは下を見た。俺も同じように下を向く。すると瓦礫の隙間からちょろりと、塩臭い水が流れてきた。
 ピチャン、と、踝が海水を揺らす。
 俺はため息をついた。今の状況を完全に把握した。

「このままだと、二人して溺死するってことだよ」
「心中なんてまっぴらだ」
「それはボクもそう」

 ダイゴは瓦礫の山から離れた。
 確認するようにぺたぺた壁を触ってあちこち歩き回る。

「およそ三十分、ってところか」

 かさが勢いよく増してくる海水を気にせずに、ダイゴは壁に向かって耳を当てたり、手でさすったりして何かを探るようにしていると、

「ここ、風が通ってる」

 ぴた、と、ダイゴが止まって、壁の一箇所に手のひらを当ててそう言った。
 場所はダイゴの顔より少し高い場所にある。
 手をどかすと、確かに薄暗くてよく分からないが小さな亀裂が入っていた。 

「ワタルくん、ボクの荷物、とれるかい?」
「なんとか、」

 もうすでに海水は膝半分まで来ていた。
 すっかり水底に埋まってしまった、ダイゴのカバンは瓦礫の下に挟まっているが、かろうじてどかせそうだ。
 しゃがんで腕を伸ばす。両手のテコを使って、岩をひっくり返した。
 取っ手を掴んで引き上げとザバァ、と、水が大量に落ちていく。浸水はしていなかった。

「ありがとう」

 ダイゴは急いで俺の手にあるカバンのチャックをあけると、手探りに小さなライト、それに、釘のようなものをいくつかにハンマーを取り出した。どれも頼りなさげだ。
 ダイゴはまずペンライトをつけて口にくわえた。

「ライト、持とうか」

 そう聞くとダイゴはかぶりをふって、荷物が沈まないように持っていてくれ、と目だけで示した。
 そして壁の方に向き直り、またぺたぺたと探るように手で触っていく。
 なにか見つけたらしい。くさびをとある一箇所に当てる。そのまま、

「ッ!」

 ガンッ、と。ダイゴは思いっきり壁にハンマーでくさびを打ち込んだ。亀裂がバキ、と入りはしたが、それでも何も起きなかった。
 もう一度打ち込む。ガンッ、ガンッ、と、グローブもしていない露わのままの細げの手は、とんでもない力でくさびを埋め込んでいった。

「おい。そんなヒビじゃ……」

 すると、突然、俺の言葉を遮るようにバキ、バキ、と、亀裂が広がった。ダイゴがハンマーを俺に渡して、亀裂からめくるように岩を剥がしていった。くさびと岩が一緒になって音を立て落ちていき、水は波紋を広げて揺れる。
 すっかり、海水は腰のところまで届いていた。

「ッ!!」

 ダイゴは、また俺からハンマーと別のくさびを手に取ると、すっかり大きくなった亀裂に今度はさっきより力強く腕を振り上げて、くさびをまた打ち付けた。
 ガンッ!!と、壁が揺れた。

「…………」
「…………ふう」

 口にくわえていたペンライトを外すと同時に、目の前の壁に大きく縦のヒビが真っ直ぐ走った。そのまま面白いほどに崩れ、剥がれ、壁は割れて無くなっていく。 
 ボチャン、ボチャン、と、豆腐のように脆くされてしまった岩を横目で見ながら、俺は呆気にとられてしまった。
 ダイゴがライトを向けた先は、大きな空洞が出来ていた。大人一人分が入れそうな、穴。
 水はもう肩まで迫っていた。悩む暇なんて許されない。
 俺たちは互いに頷き合い、出来た空洞にすぐに這い上がる。
 まず、俺がダイゴの荷物を投げた。上半身を持ち上げて素早く登る。すぐに振り返って、後ろで這い上がろうとしているダイゴの手をしっかりと引き上げた。
 ザバァ、と。体重分の水が滴り落ちた。俺たちは危機一髪に、奇跡的に見つけた空洞に転がり込む。
 へた、と、緊張が途切れて力が抜けたように地面に倒れた。二人とも、すっかりぐっしょりだった。地下二階の、氷に触れた海水は、かなり冷たく体力をすり減らしていたようだ。

「たすかった……」

 二人して同じことを言った。声は、小さな空間によく響いた。