燃ゆる彗星①〜⑤ - 6/18

 第二話 剥離

 

 ミクリがホウエンに帰ってから、一週間が経った。また、のそのそと地下に行ったり来たりする生活を繰り返しているボクに、別荘が完成したという連絡が入る。
 剥げてしまった塗装はシミ一つなく真っ白に染め上げられ、バリバリに砕け破片が転がりまくっていたレンガの道も、垣根も柵も、真新しいものに変えられ、プールのタイルはピカピカで、夕暮れの大人しい光が反射してギラギラ光っていた。
 確かに、ボクが幼い頃に使っていた当時のままにあって、別荘が過去から来たのではなく、ボクが過去に戻ったかのようだった。
 外面だけは。

「うわ、なにもない」

 玄関を開けて素っ頓狂な声を上げるボクを後ろから笑い声で追いかけてきたのは、リフォームをお願いした建築家の男の人。

「ははは、そりゃそうでしょう」

 中は当然空っぽだった。二階建てになっている割と大きな別荘は家具どころかカーテンすらもなかった。

「木材の家具とか、立派な装飾が施されたものがたくさんあったんですがね。どれもこれも腐ってて」
「何十年も経てばそうなりますよね」
「いちおうまとめておいてますが」
「使えそうなもの、直せそうなものがなければ、新しく買い直しますよ」

 天井も壁も、少しも傷がないほど完璧な仕上がりで、家具がないぶん開放感さえも立派だった。

「手をつけたのは外面だけですからね。中は空っぽ同然です」
「ベッドすらもないとは、予想以上ですよ」

 階段をあがって二階に行く。廊下に連なる扉のひとつを開ければ、部屋はまっさらだった。昼下がりの太陽の光が窓からまっすぐ入って、白く染め上げる。敷き詰められていたフローリングがツヤツヤに光った。

「ここまで部屋があるとかえって使い道に困るな……」

 ひとつは倉庫、ひとつは物置、あとは客室だとして招く人も今のところいない。とりあえず自分の部屋にベッドぐらいは置かないと床に寝てしまう羽目になるな。
 キッチンはどうしようか。自炊はそこまで得意じゃないから、わざわざ立派にしなくてもいいかもしれない。戸棚は、ソファは、テーブルは、机は、お風呂場のもろもろは。
 顎に手を当てて配置をあれこれ考えていると、建築家さんが横切って大きな窓を開け放つ。冷たい風が入り込んで、塞ぐカーテンもないせいか一気に部屋が寒くなった。これならセントラルヒーティングも必要かな。ガラルのホテルを使ったとき、それのおかげでとても部屋が心地よかった覚えがある。

「いやあ、デボンの御曹司、ホウエンチャンピオンがわざわざリゾートエリアに別荘を建てるなんてね」
「そこに”元”がつきますよ、後者に関しては」

 ボクがそう言うと建築家の人は大きな声で笑った。声がよく通って、天井まで反響する。

「あれ、ボク。自分のこといつ話しました──」

 か。と続けようとして面を上げると何も見えなくて、ぱち、ぱち、と瞬きをする。原因は一冊の本が目の前に出されていたせいだった。

「はい、これ。注文書ですよ」

 渡されたそれを手に取った。パラパラめくれば、中身は家具のカタログだ。
 なんか、はぐらかされた気がする。
 とりあえず部屋に困らない程度のベッドとカーペット、クローゼットぐらいは丸をつけて、あとはもろもろ、暮らすうちに追加することに決めた。

 

 

 朝起きたあと、ボクには自分なりにルーティンがある。ルーティンというほどかっちりしたものでもたいしたことでもないけど、起きたあとの決まった順番が身体に染み付いてしまっている。
 いつも使う家じゃないからこそ、このルーティンというものは大事なものとなってくる。
 目覚めはいいほうだとは思う。
 その秘訣は、まず寝室のカーテンはぴっちり締め切らないこと。隙間からこぼれ落ちた眩い朝日で自然と瞼が開き、ぱちぱち何度か瞬きをして、それでもまだ頭がぼーとするからおぼつかない足取りでベッドから降りる。
 洗面所に向かって、蛇口をひねって冷たい水を顔にバシャバシャあてる。歯を磨きながら、その日のスケジュールを確認。いつもはビッシリ埋まっている画面は、旅に出てからほとんど真っ白だった。
 時間があれば、シャワーをしたいところだけど、今日はなしで。
 キッチンに向かって、やかんをのせて、コンロに火をつける。いつもならココドラがここですかさず目を光らせる様子にクス、と笑っていたな。
 寝間着を脱ぎ、あらかじめ前日に用意していたワイシャツを手に取る。袖を通し、靴下を履いた後にスラックスも履いて、ベルトをつける。
 ベストを羽織り、スカーフを手に取ったところでだいたい、お湯が沸いてやかんが悲鳴をあげる。スカーフを手放し、代わりに戸棚から簡素なマグカップと、コーヒーの粉末の入った小瓶を取り出す。適当に小瓶からマグカップにスプーンで粉を撒いて、シンクに移動。悲鳴をあげているやかんを大人しくするため、コンロの火を止めた。お湯を注いで、スプーンで混ぜる。透明だったお湯は、白い湯気が漂う中で、コーヒーの色が溶けていき、香ばしい匂いで満ちていく。
 すー、と息を吸って。
 そのとき、パチッ、と目が覚める。覚醒の匂いと音だ。コーヒーの匂いと、やかんから吹き出る水蒸気の音。
 それからの行動は早い。コーヒーをひとくち含む。ワイシャツを汚さないように気をつけながら。
 テーブルに置いて、傍らに放置していたスカーフを巻く。ジャケットも羽織って、最後に姿見でチェック。ヨレとかシワとか無いのを確認したら、朝ご飯の支度をする。でもだいたいお腹がすいてなかったり、めんどくさかったり、時間が無かったりして省略。
 パンを焼くぐらいはしてもよかったかもしれないけど、今日は人と会う予定が優先なので外で食べようかな。
 指輪を四つ、いつもの場所につければ朝日にキラッと輝いていよいよ意識は完全に覚ます。
 今日は、ひんやり温度に冷やされて指輪がかなり冷たかった。
 コーヒーを飲みきった。冷たい身体があたためられていく。

「行こうか、みんな」

 ボールを六つ。ベルトにつけて、少ない荷物を詰めたカバンを持つ。持ってない方の手で扉を開ければ、朝のルーティンはこれで終わりだ。

 

 

 クロガネゲートを抜けて、階段をおりていく。
 塗装されていない、ゴツゴツした岩肌がむき出しの道を歩いていけば、サビと鉄の匂いがだんだんと強くなってくる。道を左に曲がった先で、通気孔が三つ並んでいた。メンテナンスをしているのか、黄色のヘルメットをかぶった作業着の人たちが頭を突き合わせて、話し合っていた。
 クロガネシティのポケモンジムの看板の前で一旦立ちどまる。振り向けば、先っぽが見えないほどテンガン山が高く聳えていて、青空とのコントラストが美しい。
 呆然と立っているボクを、ものすごい量の岩を運んでいるカイリキーたちが横切った。我に返って歩き始めると、途中の分かれ道で前を行っていたカイリキーが右に曲がる。曲がった先では、たくさんの作業員とポケモンたちが、青いレールの下で忙しなく働いていた。青いレールの上ではたくさんの石炭が次々と運ばれていく。
 クロガネ炭鉱だ。ここの名物。

「ダイゴさーん、こっちです!」

 分かれ道の逆側で聞き覚えのある声が聞こえて、弾かれたように面を左に。少し離れたところにある炭鉱博物館入口前で、赤いヘルメットをかぶった青年が大きく手を振っていた。
 駆け寄って、差し出された手を握る。すると相手はちょっとだけ、びっくりした顔をしたけど、すぐに元に戻った。

「ヒョウタくん。久しぶりだね」
「はい! 来てくれて嬉しいです」
「それはボクの方こそ。ありがとう。炭鉱を見せてくれるなんて」
「ははは。ダイゴさんならもう大歓迎ですって」

 ヒョウタくんと道に並びながら、今来た道を戻っていく。大きな階段の前に行けば、静かだった街が信じられないほど、機械のエンジンの音に、ドリルのけたたましい音が騒がしくなってきた。遠くの方では、作業員たちが大声をあげながらあちこち走り回っている。ボクたちはぶつからないよう気をつけながら話をした。

「ミオシティにはもう行きましたか?」
「いや、ちょうどこのあと行く予定なんだよ」
「なら、食べて欲しいものがあるんです」

 強く押されて教えてくれたものは、ボクが知らない食べものだった。どうやらミオシティの名物らしい。

「父さんの大好物なんです。ボクの思い出の味で」

 確か、あそこのジムリーダーはヒョウタくんのお父さんが務めている。はがねタイプの使い手だったことをぼんやりと思い出した。

「ぜひともダイゴさんにと」

 ヒョウタくんがヘルメットを持ち上げて、気持ちよく笑った。

「しょっぱいんですよ、それ」
「しょっぱいのか」

 数秒沈黙。その間が少しおかしくて、耐えきれなくなったボクたちはお互いの顔を見合わせて笑った。

「ふふ」
「ふふふ」

 笑うのを堪えながら話を続けたのはヒョウタくんの方だった。
 
「あれからどうです。化石ポケモンの復元については」
「かなり進んでるよ。ヒョウタくんに頼んでいたものを受け取ったとき、デボンの研究員一同で喜んだものだ」
「嬉しいです。ボクもはやく、みんなに会いたいな」
「結果が届き次第、きみにもすぐに送るよ」

 クロガネ炭鉱へ下る前にうずたかく積もった砂の山が目に入って、思わず立ち止まる。

「なんて大きなボタ山なんだ」
「ぼた……?」
「あぁ、シンオウ地方では確かズリ山って言うんだよね」

 そう言うとヒョウタくんは納得した声を上げて手を叩いた。

「同じものなのに名前が違う。面白いよね」

 ヒョウタくんは力強く頷くと、自慢げに胸を叩いた。

「これこそ、クロガネ炭鉱の名物です。ポケモンたちと力を合わせて、築き上げたここがボクは大好きなんです。もちろん、地下もね」
「同感だ」

 階段をおりて地下深くへ降りていく。炭鉱を運ぶレールを横目に見ながら、ヒョウタくんとたわいない話をした。海深くまで掘り進めている現段階の深さはどれくらいなのかとか、化石ポケモンの話だとか。
 もちろん、一番盛りあがったのは採掘だ。ボクたちの共通の趣味なのだから、当たり前だった。

「ダイゴさんもせめてヘルメットぐらいした方がいいですよ。落石、滑落に巻き込まれたらどうするんですか」

 頭に手を当ててヒョウタくんが続けて言う。

「スーツで採掘だとか、ボクには考えられないなぁ」
「さすがに今回はちゃんと用意しているよ。ホウエンでは何かと仕事が忙しくて、着替えるのも億劫でね」
「今日はスーツなんですね」
「ヒョウタくんに会いに来たわけだし、今日は採掘しないから」
「あれっ、そうなんですか」
「荷物がこんなに軽いのにどうやって採掘するんだい」
「言われてみれば。でもダイゴさんなら素手でも掘りそうだ」

 二人で笑い合う。だいぶ地下深くまで降りてきたボクたちの横では、地下の空気と地上の空気を入れ替える役目である大きな通気孔がシュコーッという音を立てていた。

「ダイゴさんのことだから、もうシンオウ地方中の石を掘り尽くすんだろうなぁって」
「もちろん」
「ははは、シンオウ地方ではそれはもう本当にたくさんのものが見つかりますよ」

 ボクがシンオウ地方に来ていることを知ったヒョウタくんが、ぜひともクロガネ炭鉱に観光をしに来て欲しいと誘ってくれて、ボクは本当に嬉しかった。海底深くまで掘り進めている計画や、化石の話。彼の夢の話。たくさんのことをヒョウタくんから聞かせてもらったことを、もっともっと詳しく知りたかったから。
 彼のいわタイプや化石に対する情熱は本物だ。それは、目を見れば分かる。

「いつか、地下を通じて世界がひとつに繋がるといいな、って。ボクは思うんですよ」

 ヒョウタくんは目の前に立ちはばかる岩と壁を真っ直ぐ見つめていた。ボクはその横顔と、目の中でメラメラと燃える情熱をはっきり感じ取っていた。
 掘って掘って、掘り進めて。終わりのない道を掘り続けることは絶え間ない努力がないとできそうもない。ポケモンと人の友情の結晶だと、ヒョウタくんは言う。
 それは想像できないほど辛くて、大変で、諦めたくなるときだってあるはずなのに。ヒョウタくんの顔には微塵もなかった。すごい子だ。

「ヒョウタさーん」

 入口付近で作業員の何人かが困ったような顔をしていた。なにかあったのかもしれない。

「はい! すみません。自由にしてくださっていいので、一旦席を外しますね」
「構わないよ。案内、途中までありがとう」
「あとでご飯、食べに行きましょう」
「いいね。そうしよう」

 快く頷けばヒョウタくんは呼ばれた男の元へ走り去っていった。
 ボクは薄暗い地下を、好きなように歩いていく。行き止まりのないその複雑な道の途中で止まって、壁に向き直る。
 ううん、もったいないな。道具さえあれば今すぐにでも採掘をしたい。身体がうずうずするけど、今日は行きたい場所がもう一箇所あるから我慢するしかないな。
 泥なんてつけたら出禁にされてしまうかもしれない。

「いい匂いだ。落ち着くな……」

 泥臭い壁を触る。素手で触ればゴツゴツ冷たくて、撫でれば表面の砂がパラパラ落ちていった。かなり脆い。だけど長年の勘から、脆いのはおそらく表面だけでこの地質は奥に掘れば掘るほど固いだろうことが分かる。地層がそれだけ古い証拠だ。たくさんの石や化石、他にも掘り出し物が埋まっているんだろうな。
 地盤が安定しないから、下手に掘るとすぐに崩れてしまうかもしれない。

「ハンマーとタガネぐらいは持ってくればよかったかな」

 ボクの集中している様子はちょっと近寄り難いと、人に言われたことがある。
 夢中になると周りが見えなくなってしまうのはボクの悪い癖なのかもしれない。それはバトルのときもそうだし、物事を考えているときもそうだった。
 特に酷いのは採掘するときで、あるときリーグに連れ戻しに迎えに来てくれたカゲツが、いつの間にかボクの後ろにいたことがあった。
 なんで声をかけないの、と聞いたら、口をあんぐり開けて慄く姿があまりにも滑稽で、腹を抱えて笑ったら、

「オマエな。自覚持てよ」

 そう呆れられてしまった。
 採掘すると、頭が空っぽになるんだ。それなのに人はその様子を殺気だとか凶器だとか呼ぶ。
 だからミクリは洞窟まで迎えに来ることは無いし、カゲツはボクが一区切り終わるまでは決して声をかけない。
 みんなそうだった。みんなそうだったのに。
 一度、その手を直接素手で止められてしまったときがあった。

 

 少し前。
 フスベシティ近くにあるくらやみのほら穴での出来事だ。
 早朝から採掘に勤しみ、すっかり服がドロドロになるまで夢中になったボクを、近寄る人は誰もいなかった。くらやみのほら穴は名前の通り真っ暗で、カンテラだけの光に、壁を乱暴に砕く音が響くのは普通の人からしたら確かに怖いかもしれない。 
 持っているのものもハンマーだったりタガネだったり、軽く凶器なわけで、それなのに。
 危険も恐れもかえりみず、止めるなんていとも容易いあの大きな手が、衝撃的だった。
 ハンマーを振りかざすボクの手を誰かがスっと手を伸ばして、掴みかかる。急な感触に、ポケモンかなにかに襲われたかと一瞬ゾッとした。
 バッと振り返ると、その正体はいとも簡単で、逆に彼の方が驚いた顔をしていた。カンテラにぼぉ、と照らされて、炎のように赤い髪が色づいて、黒曜石みたいに鋭い目の中で、オレンジ色の光がゆらゆら揺れていた。
 ハンマーを握るボクの右手首を離しはしない力強さ。その左手を、ゆっくりと見つめる。

「手……」

 あんなに緊張してたのに、ボクはなんて間抜けなことをいったんだろう。

「きみの手。おおきいね」

 彼もまさかそんなことを言われるとは思わなかったのか、驚いた目はますます見開いたけど、やがて解れたように細めて笑った。

「そうかな」
「……ん、」

 ボクは、握られていない左手を前につきだす。察しが良い彼は、同じように右手を出してくれた。
 ピッタリ合わせる。ほら。何もかも違う。
 皮膚の硬さも、分厚さも。
 指の長さも、爪の形も。中に入っている骨の丈夫さも、関節のでこぼこ具合も。
 二人重なった右手と左手。別と別のものが触れて、体温がここちよい。
 彼の手は本当にあたたかくて、そして、ちょっとゴワゴワしていた。する、と手を絡めると、彼の手のひらに散りばめられていた細かい傷が擦れて少しくすぐったい。皮がめくれて針になっているものがチクチクしたり。

「……ほらね。全然違うだろ」

 彼も指を絡めてくる。血の巡るドクン、ドクン、とした鼓動が、ふたつ分だったのがひとつに混ざって。
 それがなんだか。

「……ふふ」

 ボクの身体の一部になってくれたみたいだな、って思って嬉しくて。

「忘れないでほしいな、って言ったら、きみは……」

 握りしめる手に釘付けの目線を、きみの顔に移すと、

「うん。その顔が見れただけでも、満足かな」

 きみに映るボクの顔が蕩けて笑っていたように見えたのは、カンテラの光で揺らめいていたせいなのかもしれない。

 

 きみは、もうボクの痕跡もすべて剥がれ落とした場所に行ってしまったのだろうか。
 いいね。頑張っている姿は、誰だっていつだって好ましい。
 きらりと光る、その輝き。本当に綺麗なものだと思うよ。まあ、きみはちょっと、変わっているけど。
 つまり、きみにとってのボクは、たかがその程度の存在だとしてボクは少しも悲しくも寂しくもなかった。
 でも。
 切ない、という言葉とはかけ離れた、形容しがたいあのときの、きみの顔。
 あれは、どんな言葉で片付けられたのか、聞けばよかったな、って今では思う。
 きみの本音を。ボクへの気持ちを。
 心の底から。