不覚暁に星は輝く✱r18 - 5/34

 

 二、星のかけら

 

 バシャン!という音を立てて男は滝壺にぶつかった。
 あっという間に水は男の姿を水底に攫っていく。
 できた波には泡が激しく広がって、赤黒く濁ったものが水面に漂った。まずい。

「ッカイリュー!」

 急いでカイリューに合図を出した。賢いあの子はすぐに水に飛び込んで追いかける。水しぶきが俺の方にまでかかってきたのを、咄嗟に掴んだマントで庇った。
 時間はかからなかった。すぐに一人の男と一緒に戻ってきた。彼の両腕を掴んで、なるべく負担のないように運ぶ姿にうなづく。

「よくやった! こっちへ!」

 カイリューがゆっくりと抱えた男を地面に下ろした。急いでしゃがんで大きな声を上げた。

「おい。……しっかりするんだ。俺の声が聞こえるか!」

 横たえた頬を軽く叩く。ぐったりとした顔は無反応。前髪がへばりついていて表情は分からない。
 血色の悪さで肌は青白く、浸水したせいで頬の温度は氷のよう。
 前髪をどかすと額から出血していた。着ている服はところどころ破けていて、焦げ臭い匂いがする。
 火薬の匂いだ。なぜ?
 もう一度声をかける。しかし相も変わらずぐったりしていた。

「呼びかけ、応答、なし……」

 呼吸を確認するため手を口元に当てて顔を近づける。
 息が、浅い。

「まずいな」

 腕まくりをして、急いで男の身体を仰向けにさせた。スカーフを抜き取り、シャツもボタンを外して首元を緩くする。呼吸をしやすいように。
 男の横に跪き胸の中央に両手を重ねる。そして、真っ直ぐと五cmほど沈ませるように力を入れた。これを繰り返す。
 三十回ほど胸骨を圧迫して、心肺が蘇生されているか確認する。だが変わらなかった。
 相も変わらずぐったりと男の顔は青ざめていた。

「ッ……仕方ない」

 顔に顔を近づけて、相手の鼻をつまんだ。
 息を吸って、そっと、唇に、唇を。そのとき。

「──っゴボッ」

 びしゃ、と水が顔にかかる。男が息を吹き返した。

「ゴボッ……ガッ、ゲホッ……ッ……」
「!」

 肺にまで入り込んだ水が呼吸するのを邪魔するようで、男は苦しそうに喉を引っ掻いた。急いで顔を横向きにして水を流しやすいようにする。
 咳き込んで口と鼻から溢れた、飲み込んでしまった大量の水が地面に滴っていく。

「おい、大丈夫か。俺の声が分かるか」
「……ッだ、……」

 苦しそうに嘔吐く喉は水を激しく吐いた。このままだと気管を痛める危険性がある。

「喋らなくていい。言葉の意味がわかるなら、手を握って」

 そう言うと、俺が差し出した手を男は震えながらも握りしめた。よかった。正気を取り戻している。

「……ぁ、きみ、は」

 男がそうしてゆっくりと瞼を開けてこっちを見てくる。水なのか、汗なのか、分からないほど疲労しきっている肌の色は、蒼白。
 だけど俺はその顔にとても見覚えがあった。 

「キミ、が、どうして」

 唖然としてそう言って、疲弊した目を見開いたその顔は。
 今朝の新聞の一面を飾ったまさにその男だった。

「……ただの通りすがりだよ。急にきみが落ちてきて、びっくりした」

 動揺しなかったわけではなかった。なぜ、チャンピオンがこんなところでボロボロになっているのか気にならないわけでもなかった。
 だが、彼の様態はスレスレ状態だ。下手すると死んでしまう危険性がある。
 まずはなにしろ、手当が優先だ。話は、二の次。

「……落ちた? ボクが?」
「上が見えるか。あの滝の上から真っ直ぐ落ちてきたんだ。そこの、滝壺まで」

 高さ、およそ十メートルは軽くある。不注意にしては、おざなりだ。

「滝の上……そうだ、ボクは、」

 起き上がろうとする身体にぎょっとした。慌てて押さえつける。

「無理しちゃダメだ。きみ、おそらく」
「でも、ボク……」
「立つな!」

 そう強く言って、彼はようやく諦めてくれた。鋭い目付きが強ばったのを見るに、もしかしたらどこか傷が開いたのかもしれない。

「きみ、ポケモンは」
「いるよ。腰に……ボールが……」

 指さした先を確認すると、確かに六つ。しかし、ベルトに付いていたものはどれも閉じきっていた。まさか、ポケモンも連れ歩かずにこの滝の上にいたのか。

「生身で滝を下ろうとするなんて……無茶すぎる」
「ボクの子たち。……覚えていないんだ」
「なにが」
「……たきのぼり」

 おずおずと言った言葉に、唖然とする。

「…………」
「…………」

 対して男は気まずそうに目を逸らした。

「じゃあきみはいったいどうして。まさか壁を自分で……とか言わないだろうな」
「そこに登りやすい岩があるんだ」
「……」

 ため息をついて呆れた。
 華奢に見えてタフすぎる。神経だけが図太いわけじゃなさそうだ。

「……靴、脱がすよ」
「え……どうして」
「気づいてないのか? 言っておくが、足も、」

 ぎゅっと、足首を掴むと顔を歪ませた。

「……ほらな、」
「っ……たい。そっか。捻ったのか」
「怪我人は安静が第一だ。応急処置が終わり次第、きみを病院に運ぶ」

 そう言って立ち上がり、タオルを手に取って滝壺の水につけた。固く搾って、靴も靴下も脱がせた足首の皮膚に当てた。

「起き上がるな、横になって、……足は高く」

 じ、っと見ていた彼の上半身をもう一度寝かせて、捻挫した方の足を高くあげた。すっかり水を吸ってビシャビシャになっている彼の上着を脱がし、畳んで高さをつくったものに足を乗せる。

「包帯はないからこれで」
「……え、あっ!」

 ビリリ、と、自分のマントをちょうどいい長さに破った。

「だ、ダメだよ! さすがに」
「怪我人は黙る」
「ッ…………」

 タオルを取り除いて、細長くした黒い布を患部に巻き付けた。強く縛って、固定させると痛みが走ったのか、身体が少しビクついた。
 顔を伺うと、面目ない、とでも言いたいのか捻挫がそうとう痛いのか、手の甲を額にあてる。

「……手を退けて」
「え?」
「気づいてないのか? 額にも、打撲したのか、出血している」
「あぁ……だから頭がちょっと痛いのかな」

 手を退けて見ると思わず顔を顰めた。
 ちょっとにしては酷い傷だった。縫う必要は無いだろうが、乾いた血がすでにゴワゴワにこびりついている。
 もう一度タオルを水につけて搾って、軽く拭いた。

「いっ……染みるな……」
「いいか。これは応急手当に過ぎないんだ。あんなに高いところから落ちて、他に怪我がないとは言い切れないよ。病院でちゃんと処置を受けるんだ」

 拭ったタオルを取り除くと、皮膚が破けていた程度で済んでいたことが分かった。
 ほっとして、急いで何があったのか滝の上に行って確認しようとした、が。

「……ッ、」

 男が、俺の服の裾を勢いよく掴んで引き止めている。まるで上に行かせるわけにはいかない、とでも言うかのように。
 許さない、とでも言うかのように。

「連れてってくれるかい。……病院に」

 お願いしている態度にしては脅迫を込めた。目つきはとても鋭かった。

 

 

 搬送先の病院の医者は俺が肩を支えている男の姿を見るやいなや、驚いてはいたがすぐに呆れたように微笑んだ。
 もしかしたら顔見知りで、彼はよくこの病院にお世話になっているのかもしれない。
 一応同伴者として診療の間、廊下で何もせず待っていたが、説明をしにきた看護婦によるとどうやら大きな怪我はなく命に別状はないらしい。
 むしろ捻挫と打撲以外はピンピンしてましたよ、という言葉にほっとした。

「ボクの名前はダイゴ」

 病室でちゃんとした治療を受けてベッドに腰掛けていた彼は、まずそう言った。
 小綺麗な病室。
 薄いグレーの病衣を身にまとっている姿は健康な成人男性そのものだが、薄い肌にありえないほど細くみえる手足、色素の薄い瞳を見ると一瞬錯覚が生じてしまう。
 倒錯的な光景だった。

「……なぜ、滝の上に?」
「ちょっとした用事があって」

 ちょっとした、用事で、あんな状態になるのか。
 そう問い詰めようとした俺を、ダイゴは何がおかしいのか。何も心配の無いように笑っていた様子があまりにも穏やかで、言葉が詰まってしまう。

「……無茶はするべきではないよ」

 それしか言えなかった。でも、それしか言えなかった言葉にダイゴは瞬きを繰り返した。

「そんなこと初めて言われたよ」

 ダイゴは膝の上で手を組んだ。俯いた顔は、何かを思い出すとハッ、と顔を上げて少し早口に言った。

「いいかな、ひとつ聞いても」
「なんだ」
「どうして、りゅうせいの滝に?」
「……修行に」

 その言葉を聞くとほっとしたように浮かせた腰を、また落ち着かせる。だがまだ何か引っかかっているのか、念を押すように、ゆっくりと、

「本当に、それだけかい?」

 と聞いた。俺は眉を釣りあげた。

「……そうだが」
「そう、……そっか。なら、……大丈夫だ」

 なにが大丈夫なのか、今度こそ問い詰めようと口を開く、が。ちょうど担当医が病室に入ってきた気配がして噤んだ。

「ダイゴくん。ちょっといいかな」

 担当医が確認するように俺とダイゴを交互に見てくる。

「いま、なにか……」

 ダイゴは俺が言いかけていた言葉に気づいたのか、今度は彼が担当医の方と俺を交互に見てきた。

「……いや、」

 俺はかぶりを振り、自分の荷物を持って担当医に挨拶をした。

「じゃあ、俺はそろそろ」
「……」

 ドアに手をかけてそのまま出ようとした俺を、ねぇ、と声がかけられる。
 立ち去ろうとした足を止めて振り返る。

「また、きっと会えるよ」

 優しく笑って続けた。

「ワタルくん」

 名前は教えたはずはないのに、確かに彼は俺の名前を呼んでいた。
 スライド式のドアはそして閉まる。彼の姿はもう見えなくなった。
 確かめることも、出来ないままに。