不覚暁に星は輝く✱r18 - 3/34

──ひさかたの 光のどけき 春の日に
静心(しづごころ)なく 花の散るらむ──

『百人一首』 紀友則 より

 

 

 

 一、眠れる龍

 

 それはきっと、誰しもが祝福するべくして間違いでない瞬間だった。
 光は強く、まっすぐと舞台に落とされ、主役を際立たせる。まるで、その人物をくり抜くように。
 だけど、

「勝者!」

 その光は俺のものではなかった。

「挑戦者──」

 無情に聞こえた。
 大きな声でハッキリしていたのに。
 俺にとって、耳鳴りが酷く、途切れて消えゆく。
 先程の戦闘で、少年の手持ちの雄叫びが劈いたのが今頃効いたのか、おそらく俺の両耳の鼓膜は破けてしまっている。
 耳が痛い。頭も痛い。だけど、熱は急激に冷えていった。
 身体はボロボロで、手元には自慢の子たちが、みな、ズタボロにやられて瀕死状態だというのに。
 歓声があがった。どこからの歓声だろうか。
 この場には、少年と、俺一人と、試合を見届ける審判しかいないというのに。
 とてつもなく激しい歓声が鼓膜を気にせず俺の頭に鳴り響く。

「挑戦者、四天王ワタルの元へ」

 少年がうなづく。ボールを手に取って手持ちに戻れと合図をした。砂埃が舞うと会場はますます曇った。
 本当に、二人きりどころか、俺一人が会場に取り残された感覚だった。
 手が、ぬるあたたかい。
 目だけを動かして見れば血が出ていた。
 滴った血は床に落ちて汚していく。
 己が傷つけた爪のあとをぼんやり眺めた。手の震え、つまり、痙攣も酷かった。それはやがて全身に回る。
 そして心臓が跳ねた。ひときわ大きく。

「……ッ」

 悔しい。のか。それとも、この感情は。
 分からずそのまま通り過ぎて俺の脳内を熱く流れていった。
 何を言おう。
 俺は、この少年に。俺のすべてをぶつけたこの小さく細く見える、あどけない少年になんて言えばいいのか。

「……、──」

 少年が近づいてくる。ゆっくりと、その頭を上げて俺を見上げようとして、くる。 
 表情が見えない。黒く塗りつぶされているかのように、それは不気味にも恐ろしげにも見えた。少年のいたいけな皮を被った得体の知れないどろりとしたものにも見えた。
 息ができない。呼吸の仕方を思い出せない。心臓の音がうるさい。頭が、ガンガンと揺さぶられる。
 この気持ちは、感覚は、初めてだった。
 なぜだ。
 わからなかった。

 

「──ワタル様」

 凛とした声が俺を過去から引き戻した。
 横を見ると小綺麗に着物をまとった老人が正座でじ、っと俺を見ていた。縁側に座り柱にもたれかかっていた俺を、心配するというよりは律するような視線だった。

「……寝ていたか?」
「いえ、ですが、しばしぼんやりと」
「……そうか。悪いな」

 横に置いていたマントを手に取って立ち上がりながら羽織った。
 すっかり、黒い生地には白い塊が点々と積もっていた。かなりの時間が経っていたのかもしれない。

「……フスベはすっかり、銀世界だな」
「今年の雪の多さには、里のみな狼狽しております。屋根から落ちる雪の量も、増すばかりで。どこもかしこも木の軋む音で深い眠りが妨げられます」
「……そうか」
「名物の桜も、もしや今年は咲くのが少しばかり遅れるやもしれませんな」
「……」
「それまでに、あなた様は帰ってこられますか?」

 返す言葉を考えた。雪の舞う音が聞こえるぐらい静かに時間は流れた。
 はぁ、と、息を吐くと白いモヤが景色をますます白くさせた。

「そうだね。……今はただ、桜が咲くのが遅ければいいなと願いたい気持ち、かな」
「ワタル様、」
「もう行くよ」
「鼻緒が」
「…………」

 ブツ、と雪下駄が落ちる。しかと結ばれていたはずの鼻緒がいつの間にかちぎれていた。
 ますます白い息は濃さをました。

「ワタル様。本当に行かれるのですか──」

 何度も、何人もの、違った声が同じことを問いかけてきた。自分の帰省に喜んだもの、驚いたもの、みなの反応は違くても決まって最後にはそう言った。
 当たり前か。普通ならゆっくり見つめ直す時間というものが用意されていても、用意してもおかしくはないと言うのに、どうやら俺は違ったらしい。
 故郷に留まるよりも突き動かす衝動に任せる方が昔から性に合う。

「ワタル!」  

 カイリューにまたがろうする足を止める声はよく知るものだった。

「帰ってきたと思えば、あなたはいつもそうよ!」
「イブキ」

 振り返るとずかずかと大股で近寄ってくる姿。顔を真っ赤にしているのは雪のせいではないのかもしれない。

「修行なんて、ここですればいいじゃない!」

 その言葉に、すこし、驚いた。目を大きく開いて、そして細めた。暖かいものが包み込む優しさだったから。

「……きみぐらいだな」

 誰しも、引き止めることはしなかった。俺がどこかへ赴くことを疑うことはしても、進めるのを立ち塞がることはしなかったというのに。

「思うことがあったんだ。フスベだと、甘えてしまうから」
「だ、だったら私だって」
「ダメだ」
「な、によ」
「きみは、ジムがあるだろ」

 おめでとう、と頭をぽんぽん叩くとイブキはぐ、っと歯を食いしばった。目をうるませて、拳をふるわせて、そして振り払うようにガバッと頭を上げた。
 涙が弾いて飛んで雪と混じって落ちていく。

「泣かれると、困るな」
「泣いてないわよ!」

 ふん、と鼻を鳴らしたのを可愛げに感じて笑う。やり取りが懐かしくて。変わってないイブキに、ほっとして。

「じいさんにも、よろしくな」
「自分で言いなさいよ! ちょっと……ワタル!」

 カイリューに今度こそ大袈裟に跨った。

「イブキ」

 ひとつ、ふたつ、羽ばたいて巻き起こった風は、従姉妹の青い髪も、コートも、マントも、揺らした。雪がまるで、涙のように見えるのは気のせいかもしれない。

「ありがとう」

 その言葉を皮切りに一気に上昇する。返事は遠のいた。イブキの声はフスベの山間によく響くだろう。
 それを、振り切るように。
 俺は寒い空気から遠のいていった。