FRIEND
SUBETE NO
(すべて の)
INOCHI HA
(いのち は)
BETSU NO
(べつ の)
INOCHI TO DEAI
(いのち と であい)
NANIKA WO UMIDASU
(なにか を うみだす)
ズイの遺跡にて 遺された言葉
第一話 片道切符
真っ黒な影が広がっている。
滲む黒は範囲を広げ、やがてドロドロに溶けて流れていく。おぞましい黒い川。どす黒い煙でできた雲をもくもく作りながらこちら側へどんどんと地面を押し流していく。スピードは速い。
似たような光景をボクは見たことがある。あれは、確かえんとつ山が噴火したときのことだ。火口から噴き出したマグマは、周りにある木も花も石も、生きとし生けるものすべて飲み込んで山の麓へ落ちていく。
人に聞けば、火砕流というらしい。
真っ黒だった。みんな真っ黒になって、形すべてを失ってわからなくなってしまう。全部ドロドロに溶かして消えていく虚しさは、自然の脅威の象徴。
その光景とおなじものが、目の前に黒く広がっている。
ボクはその黒い水が触れるすれすれに立っていた。つま先が、ジャリ、と音を立てる。踏みしめた地面が靴底で削れて黒い水に吸い込まれてしまった。
そのとき初めて分かった。これは、水でも、マグマでもなく、大きな大きな、穴だ。
黒い流れはこちらに向かってるのではなく、こちらが穴に向かって落ちていくものだった。ゴウゴウ音を立てて落ちるさまは、滝の音に似ているけど、水はどこにも見当たらなかった。
じゃあ落ちているのはなんだろう、ってボクは危険を省みずにその穴を覗き込む。
ぱっくりと黒い口を開けたその穴は、いまかいまかと、ボクの身体が落ちているのを待ち構えている。いつでも飲み込んでやるぞ、というしゃがれた声が下から聞こえた気がした。耳を澄ますと声の正体は、穴に吹きすさぶ風の音だった。
ボクの身体は下から勢いよく巻き起こるその風に、グラグラ揺れてしまう。いつ落ちてもおかしくないのに、ボクはずっと、その穴をただ見下ろしていた。
後ろに下がることもせず、つま先は宙に浮いていた。少しでも前へ動かせばボクは簡単に真っ逆さまに落ちて、飲み込まれるだろう。
深淵の先。
奥底なんてあるのか分からないその穴を、いますぐに落ちてもいいかな、と、どこか穏やかな気持ちで見つめていた。
ドンッという衝撃が背骨に刺さった。
「っ……つぅ……」
頭に鈍い痛みが走る。顔がひきつって、痙攣の止まらない瞼をゆっくりと上げると、ぼやけた視界に小さなスクリーンが、次に座り心地のよさそうな座席の背面がうつる。膝元には暖かい毛布。傍らには少ない荷物。横には小窓。そして、上から、
──ご搭乗のみなさまに、ご案内します
上品な女性の声がはっきり聞こえて、ボクの意識は覚醒した。あまりにも眠くて眠くてしょょぼしょぼした目をこすって、ブラインドを開ける。
ゆったりとピントがあっていく視界と、聴覚。ゴォーとうるさいエンジンの音が聞こえてきた。空の下はとても綺麗で、宝石がちりばめられたようにネオンがキラキラと輝いている。あれは、コトブキシティかな。
いつの間にか飛行機の中で寝てしまっていたらしい。
窓の外の広がる風景。奥深くに広がる神秘的な光景で、ボクの真下はすっかりシンオウ地方で染まっていた。
シンオウ地方に行こう、って決めた明白な理由はなかった。
ガラル地方。アローラ地方。カロス地方。
イッシュに、ジョウトに、そしてカントー。
他にもたくさん、巡る場所の選択肢はあった。様々な地図を手に取って、さて次はどこに行こうかといざ机に広げたとき、散らばった各地の色がごちゃまぜになって、無作為な絵の具を見下ろした気分だった。
知らない言葉。知らない地名。ホウエンとはかけ離れた、ボクには馴染みのない地図たち。
だけど、昔から使っていた痕跡は確かにそのままで、真新しい文字から、幼い文字までさまざまに書き込みがされている。
ここはあれがおいしかったなとか。ここはあの石が取れた場所だとか。ここはあのポケモンに出会った場所だとか。そんな些細なこと。でも、大切で、かけがえのないものだ。
使い古している地図。新調するに、どこかもったいない理由はそういうことから。
つつつ、と指でなぞっていく。カロス地方、ミアレシティの名物、ガレットがおいしかった。イッシュには、電気石の洞穴で採掘した石の詳細を。
つ、と指を止める。
一番新しい書き込みはカントー地方とジョウト地方。セキエイ高原に、そして……フスベシティ。
「……こおりの、ぬけみち。それから至るまでに……、ふふ」
興奮気味に書き込んでいる内容を読んで、思わず喉を鳴らして笑ってしまった。そうだね、そういうことがあったな。
ボクの書き込みで溢れた地図は、歩く日記だと思う。
ホウエンの地図なんて、トレーナー駆け出しの頃から使いっぱなしなのだから最もボロボロだった。でも、なかなか捨てられない。見るたびに、心がくすぐったくなる。
そんなごちゃごちゃした地図と地図の隙間。シンオウ地方のとある場所に、赤いペンでぐるぐるに囲んでいる印を見つける。だけど、向けられた矢印の先っぽの文字は、ほとんど掠れて読めなくなってしまっていた。
引っ張り出して、シンオウ地方の地図全体を両手で広げた。でも。
「ここは……」
身に覚えがなくて首を傾げるばかりだったけど、いつの間にかボクの手は航空券の予約を取るため、電話に伸ばしていた。
シンオウ地方の、航空券を。
シンオウ地方に着いたとき、すっかり日も暮れて夜になってしまっていた。目指す場所は地図の赤い印。それなのに、どこか寄り道したいな、という気持ちと一緒に少ない荷物を抱えた。
バスもタクシーも動いていない、さんさんに寒い空気に身をブルっ、と震わせながら、さてどうして移動しようかな、と腕を組み、悩んで歩いていると、真っ暗な道にぽっかりと明るい光が見えた。近づいていくと、どうやら駅の待合室らしい。
中に入ると、ごちんまりとした木造建築は誰も人がいなかった。正方形の造りに、奥には改札がぽつんとひとつ。その隣には小ぶりなカウンター。人は見えない。
改札前には足が少し腐っている木のベンチが二つに、ポケモンの写真集やシンオウの新聞、地図を敷き詰めている戸棚があった。少しホコリが被っている。
その戸棚の隣にはコンソールテーブルが置いてあって、灰皿と、ポケモンがのっそり座っていた。
見たことの無いポケモンにさっそく惹かれたボクは真っ直ぐに向かって、
「やあ、こんばんは」
まずは挨拶を。無反応だった。待合室のカウンターが人がいない代わりに、きみが番をしているのかな。
そのポケモンは、四本の足をどっしり構えた体格のいい子だった。丈夫な足は爪も大きく、これを使えば壁や天井を這い回るなんて容易そうだ。目はキリッとしており、かまどの炎のようにメラメラと燃えていた。皮膚はゴツゴツしていて、手袋を取って手を近づけると、ほんのりとあたたかい。
「素敵な目をしてるね。身体から吹き出る熱い皮膚がチャームポイントかな……、きみの名前を教えてくれたら、とても嬉しい」
あれ、返事がない。その代わりに咳払いが聞こえた。
「……お客さん。切符を買うならあっちだよ」
改札で切符を回収されていたご老人が、ボクに気づいて声をかけてきた。
「置物に返事を求めるなんておかしい人だ」
「あ、これ置物……なんですね」
苦笑いをすると、ご老人も苦笑いをした。二人でクスクスと笑うと、ご老人も寒そうに手をさすって、その置物に手をあてがった。
「ストーブになっている。なかなか凝っているだろう」
「見事なものです」
確かに、よくよくみれば人工的な彫り物だった。熱い皮膚の素材はおそらく木製。でも、目を凝らさないと繊細な彫刻には気づかないだろう。色付けもかなり拘っていて、皮膚のゴツゴツ具合とか、立体的だった。
「ヒードランっていうんだ」
それが、このポケモンの名前。
「ここいらの伝説でね、火山に住んでいる。ハードマウンテンには……その顔だと、よそものみたいだね。まだ行ったことない、ってわけだ」
実はね。と言って、ご老人はにやけた。懐かしい何かを思い出せたのが嬉しかったのか。
「会ったこと、あるんだ。遠い昔だけどね。ほのおとはがねのポケモンだった」
ほのおとはがねだって。そんなポケモン、いるんだ。珍しい情報に置物ですら惹かれたあの容姿。
「会ってみたいです」
ご老人は嬉しそうに笑っていた。シワの寄った顔に覆われた目に映るボクの顔は、子どものように見えてしまって思わず、こほん、と咳をする。いけない、興奮してしまったな。
「なら、最後の列車に乗っていけばいい」
「最後の?」
「名物の蒸気機関車が廃線になるんだ。今夜の便で、最後」
ご老人が杖を受付の先のホームに向けた。黒光りする車体が、例の蒸気機関車なのだろう。もうすでに重い荷物を抱えた人々が乗り込んでいく。
「車窓からハードマウンテンが見れるよ」
そう言って、ご老人は杖を軽く持ち上げて待合室を出て行った。
ボクは急いで切符売り場の受付へ。今にもシャッターを下ろそうとしたその手を、笑顔で制すると、若い駅員は面倒くさそうにした。
台帳を広げて、ガサガサと切符の紙を漁る。
「三等車ならまだ空いてます」
それともそこの板車に乗りますか? と彼が無愛想にペン先で示したボクのすぐ横に、いつから使っているのか分からない、腐りかけのベンチがある。風に吹かれてキィキィと音を立てた。
板車って、それはないだろう。
風通しがあまりにも素晴らしいここで一晩はきついなあ、と思って、ボクは切符を受け取った。
三等車はぎゅうぎゅうだった。もう入りませんよ、と言わんばかりに隙間ない缶詰だ。
あれやこれや飴玉やらガラクタやら詰め込みすぎた子どものイタズラ心のように、にしてはあまりにもむさ苦しかった。
このまま人に揉みくちゃになりながら片道何時間の旅はなかなかしんどそうだ。そしてなにより、あつい。
ボクはどうにかこうにか人の足やら荷物を踏まないよう気をつけながら、自分の少ない荷物を頭に持ち上げ、通路を前から後ろへ歩いていく。踏みしめる度にミシミシと音を立てる古い床は、下手したら今にも突き破ってしまうんじゃないかと思った。
足をもつれさせながら客車を飛び出た。勢いよく風に横殴りにさせられて、危うく身体がレールの外に吹っ飛ばされそうになる。
列車から投げ落とされないようにボクは手すりにしがみつき、デッキにしゃがむ。そのとき客車の扉が横で激しく音を立てながらしまった。
中からしゃがれた怒号が聞こえた。誰か居眠りでもしてたのかもしれない。
ポー、という間延びした音が蒸気機関車の頭から響く。
「けほっ、げほっ」
真っ黒な煙が襲いかかってきた。あたりの視界は真っ黒。煙にやられて目が痒い。ツンッと鼻の奥も痛くなる。
なんて酷い匂いだ。タバコよりもキツくて喉がカラカラになってしまう。
カバンから水を取り出して喉に流し込んだ。水は半分凍っていた。ペットボトルを膝に叩けば、ジャリジャリ音をたてる。
ガタンッ、と揺れてボクの身体が一瞬浮かぶ。危ない危ない。水を落としかけてしまった。
息を吐くたびに視界が真っ白に曇る。ホウエンではまずありえない。
冷たくて、ほんとうに寒くて、マフラーに鼻をうずめて肩をさすった。ある意味三等車がぎゅうぎゅうだったのは、正解なのかもしれない。凍えずに済みそうなくらいの熱気。
ボクのポケモンは熱いのが苦手な子たちばかりだからなあ。
──運がいいですよ、お兄さん
三等車の切符を渡されたときの言葉。
運がいいのか。悪いのか。でも、自分の招いたことは楽しんだもの勝ちだ。
「たまにはこんなハプニングもいいね」
ね、メタグロス、と声をかける。車輪の振動で手のひらの中に揺れるボールが、まるでボクの言葉に頷くようにカタンカタンと弾んでいた。
幼い頃からずっと一緒の相棒は、きっと分かってくれている。
まるでトレーナー駆け出しの頃のようだ。
あのときは、行先だとか目的地だとかいちいち気にせずに、靴が泥でこびり付いたり、カバンの荷物がずっしり重くなったり、そんなことも気づかないであちこち走り回ったものだ。
「どこに行くのかな」
本格的に指の先が冷えてきた。三等車の中に戻ろうかどうか迷っていると、
「うわあ……」
電灯も喧騒もない。人工的なものからかけ離れたシンオウの奥地は神秘的だった。
真っ黒だった景色は空ではなかった。森だった。耳をすませば、ポケモンの遠吠えが聞こえてくる。あれはなんのポケモンだろう。見た目は、タイプは、どんな技を覚えているんだろう。毛並みは、皮膚は、どんな感じで、触り心地は。
そんなことを色々と考えれば、汽車は森を抜けた。抜けた先は眩しかった。澄んだ空気に、星の光が散りばめられている。
そうか、今日は新月か。星の光が邪魔されず、いっとう輝く。
黒く塗りつぶされた空。一番高い位置に赤い灯火がポ、と浮かんだ。あれが、きっとハードマウンテンだ。
火山灰の匂いがする。落ち着く匂いだ。火口から吹き出た何かが焦げる匂い。一緒に温かい空気が流れてきた。
えんとつ山と似ている。寒かったシンオウにも、こんなにあたたかい場所があるなんて。
あの山が爆発するとき、それはかのポケモンが目覚めたときだとか。じゃああの煙は、あの匂いは、きっと。
「ヒードラン、きみの身体の熱はくすぶっているのかい」
轟速で駆けていく汽車をポケモンの遠吠えが後ろから追いかけて、反響する。汽車は汽笛をポー、と鳴らしてそれをかき消し振り払う。
うとうとしてきた。火山の熱があまりにもあったかくて、ここちよくて、ボクは目を閉じる。
いつの間にかそのまま寝てしまったらしい。
誰かに肩を揺さぶられて目を覚ました。汽車の中には、すっかり空っぽで誰もいない。
白銀に眩い光の中でボクだけが取り残されて、見知らぬ土地に迷い込んでしまった。
