不覚暁に星は輝く✱r18 - 29/34

 九、花にあらし

 

 結局、フスベを回ってセキエイ高原に赴いた彼は、なにか思うことがあったのかすぐにホウエンに帰ることを決めた。 
 全ての手続きを終えて協会との縁が離れた瞬間、どこかぽっかりと穴が空いてしまった感じ、とは言っていた。 
 それでも、もともとひとつのところに留まるのが性にあわないことだ、と分かりきっていたように笑った彼を見れば、俺がかける言葉はひとつも無い。

「潮の香りが変わった」

 二人並んで海の上を高く飛んでいると、ダイゴがそう言った。彼より前を行く俺は、言葉をよく聞き取るためにカイリューを後ろに下げると、それに気づいたダイゴが俺を見て、そしてまた前を見る。

「ホウエンの、匂いだ」

 エアームドに乗った彼は、風に身を任せ、気持ちよさそうに目を瞑ると深く息を吸った。ダイゴに移していた目を前に戻すと、確かに高く背を空に伸ばしているロケットの頭が見えてきた。宇宙センター。そしてトクサネの土地が大きくなっていく。
 あたたかい潮の香り。
 彼の、故郷だ。

 空からゆっくりとカイリューの高度を落とし、後ろについてきたダイゴを確認する。彼もエアームドの首を優しく撫でて、高度を徐々に落としていった。
 二人してトクサネに着地する。砂が風で巻き上げられると、一緒に潮の匂いがどことなく漂った気がした。

「おつかれさま。ゆっくり休むんだよ」

 エアームドをモンスターボールに戻すと、ダイゴは俺に向き直った。

「わざわざありがとう」 
「構わないさ。怪我もすっかり治ったようだし」 
「フスベも、案内してくれて」 
「また来ればいい。きっと、きみならみんな大歓迎だから」 
「……きみは、これからどうするの?」

 聞かれて俺は何も答えなかった。
 そのまま見つめあってお互い立ちすくんでいた。だけど、俺もダイゴも口を開こうとしない。
 ダイゴは俺の何かを探るように目を動かした。このまま見つめられると穴が開きそうだ。
 無駄な時間はお互いのためにならない。

「それじゃあ、」

 これで。と言葉を切った。待たせているカイリューに振り返って、乗ろうとする。 
 じゃり、と後ろで砂が踏みにじまれる音が聞こえた。

「ッワタル!」

 振り向くとダイゴがさっきとは打って変わって、顔をぐしゃ、とさせていた。切なそうな、悲しそうな、形容しがたい顔。 
 あまりにも酷い顔だったそれに、心も頭も真っ白になった。
 ダイゴとは、彼とは、色んなことがあった。
 りゅうせいの滝。カイナシティ。浅瀬のほら穴。カナズミの祝賀会に、病院に。
 そしてとうとうフスベまで連れていった。セキエイ高原をぐるりと回って、俺たちはホウエンに戻って。
 そして、また、きみと対峙している。次々と巡る光景に言葉に。俺は心臓からにじみでるじわ、っと熱い何かに気づく。
 出会ったばかりの偶然に、冷たかった過去は、いまでは心をこんなにもほろやかに照らす思い出。
 触れるべきか。触れないべきか。ダイゴの俺の名前を呼ぶ正体も、酷い表情の理由も。
 聞いても、いいのか。聞いたとしても、もう彼は逃げないだろうか。
 その手を握っても、その頬に触れても、その唇に触れても。
 病院でも、フスベでも、彼の中に秘めた変化は感じた。だけど、それだけで足りない自分がどこかにいる。もっと深く、もっと奥に、彼の心に触れたとき。そして彼がもし、同じように俺の中を触れてきたとき。
 さらけだしてしまったら。
 俺たちははたして元の二人に戻れるだろうか。
 それは分からない。分からないから、ダイゴは不安になっている。
 でも俺は、もう決めていることがある。

「……」

 肩越しではなく、身体ごと彼の前に向けた。決意したことを口に出そうとした。そのとき。
 ポツ、と雫が一滴、目の前に落ちた。ダイゴの瞳の下から零れたように、頬を伝う。

「あ……」

 ぽつ、ぽつ、と。違和感に気づいたのは俺だけじゃなかった。ダイゴは空を見上げた。

「あめ」
「雨」

 二人揃って同じことを言った。バチ、とダイゴと目が合う。しばらく二人ともそのまま立ちっぱなしでいた。カイリューがぶるぶると、水滴を払うように身体をゆさぶったのを見てダイゴが笑う。

「……ふふ、」

 ざぁざぁに優しい雨が降りしきる。家の窓や、天井や、土や、俺たちの身体を叩く音は前とは違って優しい音だった。 
 春の匂いがする雨だ。そして、あたたかい気候独特のやさしい雨だ。

「濡れちゃったね」

 雨宿りを求めずに立ちっぱなしでいればそうなる。俺もダイゴも、すっかり服も、髪も、びしょ濡れになってしまった。
 カイリューをモンスターボールにしまう。

「……これできみと濡れるのは、……何度目だろう」

 俯いた表情は和らげに呟いた。そして俺を見つめて、何かを決意したような顔をする。

「ワタル」

 ガチャ、と、後ろ手で自分の家のドアを開けた。

「……きて」

 それだけを言って、俺の手を引っ張った。