不覚暁に星は輝く✱r18 - 27/34

 雪に埋もれた山は、白一色に沈んでいた。木も、土も、風ですらも白く染まった景色は、息をすればするほどますます白くなり、そして、あたりは氷よりも冷たい。
 高い位置にある空だけが、青かった。

「それじゃあ、」

 冷たくなっていないだろうかと、寒さに慣れていないことを懸念し、その右手を両手で包み込むように触れる。思いのほかあたたかい体温が心地よかった。
 満足した俺はするりと人差し指から抜いたものの手際のよさに酷く驚いて、そしてきみは仕方なく笑った。
 これは約束の代わりに、きみの四分の一を今だけ、託させてくれ。

「奥で……待っていて」

 名残惜しく握っていた手を離すと、相手が愛おしそうに笑う。頷いて、立ち入ることを禁じられている山奥への入口へ向かえば、雪をざく、ざく、と踏みしめる音が遠ざかっていく。
 俺はその背中が小さくなっていくのを見送って、そして踵を返す。冷たく、親しみなれた空気の匂いを肺いっぱいにためて、そして下山した。
 手だけが、ほのかにあたたかい。

 

 

 フスベは相変わらず銀世界だった。凍てつく温度に山間の静かな空間は、本当に肺が丸洗いされるほど澄んだ空気に満ちていて、美しい閉塞空間。
 俺が生まれ、俺が育ち、そして俺が死に、受け継がれゆく場所。
 すべての始まりでもあり、すべての終わりでもあり、すべてが続く場所でもある。かけがえのない故郷だ。
 ジク、と雪をふみしめる。すると、川から面を上げて向こう側で布を抱えていた女性がその音に気づくと、

「わッ……」

 ドサ、と抱えていた布すべてを落とした。

「ワタル、さま?」

 わなわなと震えた両手を口元で重ねて、目がうるうるする女性に苦笑いする。

「ま、幻でしょうか。わたしはあなたの、お姿をしかと……」
「幻じゃないよ。……ただいま」

 そういうと、女性は突然ワッと泣き出してしまった。わんわんと座り込んで泣きじゃくる声に困っていると、聞きつけた周りがなんだなんだと駆け寄ってきて、一斉にギョッとした顔をし、俺はあっという間に見つかってしまった。

「わ、ワタルさま!」
「どうして、どうしてあなたさまが」
「ワタルさまがお帰りに」
「お前、しっかりしろ! 泣くんじゃ……」
「ですが……ッ、だって……ッワタルさまが」
「長老殿にはやくお伝えしてくれー!」
「さ、さむぅございませぬか!? 鼻がお赤くなってますよ?! いまお湯をお持ちに……いえ、その格好は寒すぎます! はやくお屋敷にあがってください!」

 わーわーと、静かだった山間は一気に騒がしくなる。

「悪いけど、早急に済ませたい用事があるんだ。屋敷に上がる前にじいさんに──」

 ドンッと、背中、どちらかといえば腰あたりを誰かに飛びつかれる。肩越しに見下ろすと、頭が二人分。

「ワタルおにいちゃんだ!」
「おかえりなさいっ」

 はしゃいだ明るい声に思わず微笑む。振り返って、目の位置に合わせるようにしゃがんだ。優しく、両手を使ってそれぞれの頭に触れた。

「元気だったかな」

 和らげに撫でると二人とも同時に頷いた。とても元気よく。

「ワタルおにいちゃんの手、あったかーい」
「ほかほかするーっ」

 二人はそう言って俺の手を小さな手で掴むと頬擦りをした。
 俺の周りの騒ぎように村のみんながなんだなんだと気づき始め、とうとうジムの中にいたトレーナーまでもが出てくる。俺の姿を見つけた一人が、ハッ、と息を飲めば駆け寄ってきた。
 背筋を伸ばして俺の前で緊張とした面を向ける。

「ワタルさま」

 かつて、俺に負けたことのあるトレーナーだった。
 しん、と静まる。その気迫に負けて一瞬目を泳がせた顔はついに決意が固まった。凛とした声だった。
 ハッキリわかった。以前とは違う表情。

「僕と……もう一度勝負してください!」

 真っ直ぐな瞳。輝かしい自信を盾に、俺に立ち向かう未来あるトレーナーに心が熱くなる。

「……もちろん」

 あー! と、その少年の肩に抱きつき潰した女の子が不満な声をあげ、抜け駆けしたことに怒りをあらわにしている。
 それを合図に、次々と子どもたちが手を挙げて押し寄せてくる。すっかり囲まれてしまった輪がどんどんと広がる。まずいな。

「ずるいッ!」
「わ、わたしも!」
「オレも! ワタルさま!」

 元気よく手を挙げて自分が自分が、と積極的にするまだ新米のトレーナー。それを遠目で見ている大人のトレーナーも、ソワソワしているのがわかって口角がにやけるのを抑えられるわけがない。
 明るい未来が目の前に広がっている光景は、いつだって。

「わかった、わかったよ。あとでな。まとめて……」

 そのちょっとした集まりに近づく一人の影。村の若い女性に支えながら輪に寄ってきた。

「ワタルさま……」

 初老の女性は目尻にこぼれそうな涙を溜めて、こぼれる前に指で拭い姿勢を正した。

「みな、あなたをお待ちしております。いつも、いつまでも。あなたがどこへゆこうとも、フスベは、あなたに思いはせながら、お待ちしているものなのです」

 ぎゅ、と、胸の前で両手を握りあって、顔をぱっと明るくさせた。笑うと白い歯が太陽に照らされて綺麗に輝いた。

「おかえりなさいませ、ワタルさま」

 おかえりなさい。と、村のみな一同笑って迎える。

「あなたの光が、伸びやかに、この冬を照らし、春まで届き、夏に輝き、秋に安らぎますよう、皆一同望んでおりますゆえ」

 信じています、いつまでも。
 手を伸ばしてくる。しわしわのその手が、俺の手を包み込むように握ると、厳しい冬を忘れさせるほど、それはあたたかかった。
 俺はそのあたたかい光をふんだんに受け取った。
 言うべき言葉は、ひとつだけ。

「……ありがとう」

 ワタル。と、芯の張った声が後ろからかけられ弾かれたように振り返る。村のみな、背筋を正した。

「お前にしては、尚早の帰路だな」
「じいさん。……お変わりなく」

 さ、っと、なるべく慇懃に礼をすると、

「……少し、変わったか。お前の方は」
「そんなことは」

 言いかけた言葉を少し考えて、否定ではなく訂正を。

「……変化を目にしました。ですが、この先の道。多くの変化を目にするべきだと改めてここに戻ってきたわけで、また、すぐ出ます」
「忙しないな。……初歩に立ち戻り、」
「初歩から始まる。いつだって。……でも今回は少し違うんだ」

 そういうと、じいさんは首を傾げた。フッ、と笑う。これからのことを考えると、胸が熱くなった。

「ところで、」

 声を潜めた。手を口元にあてて、

「しばらく、奥の山には誰にも近寄らないようにと伝えて欲しい」
「……なに」
「邪魔されたくないんだ」
「里帰りを天災にするな。春寒飾るにお前はいつも……」
「そんな生易しいもんじゃ、ないな」

 じいさんは面白いほど嫌そうな顔をした。おおかた察したんだろう。これから、なんの約束をしているのか。

「お前……何しに来たんだ」 

 なにって。

「雪かきをしに来たんだ」

 にっこり笑って言うと、

「機嫌がいいほど、怖いことはない」

 イブキと同じことを言って同じようにため息をついた。

 

 

 雪が深い。山の奥に登れば登るほど、上も下も、右も左もわからなくなる。
 フスベの山は、相変わらず危険すぎる。
 はぁ、と息をつくたび、辺りが白く漂う。肺が凍ってしまいそうになる。だけど、慣れ親しみのある空気の様子は、どこか心地よいものだった。
 真っ白の世界に、不自然なものが紛れ入ってしまったのか。
 灰色のコートと赤いマフラーを身にまとった背の高い青年の色が浮かんで。銀色の髪が、真っ直ぐに降りた陽の光でパチパチと輝く。
 彼はその世界にぽつん、と一人立っていた。穏やかに。気持ちよさそうに。

「……ダイゴ」

 呼ばれてくるっと振り向いた鼻は寒さで真っ赤だった。俺だと気づけば笑ってマフラーに顔を埋める。

「遅いな」
「すまない。みんなに捕まってしまって」
「ふふ。だろうね」
「でも、約束は果たした」

 ダイゴの右手を手に取る。預かっていた指輪を薬指に戻すと、その手はすっかり冷えていた。

「律儀だね。ずっと、手に持っていたの?」
「まさか」

 ダイゴから抜き取った指輪は無くさないようずっと懐にしまっていた。

「それだと、みんなにあやしまれるからね」
「後ろめたい?」
「違うさ。バレると、山にみんな入ってくるだろうから」
「……それは、困るね」

 ダイゴがあたりをぐるりと見渡した。近くの木を軽く揺らすと、重い雪が目の前に落ちる。小さい子どもなら、すぐに腰まで埋もれてしまうだろう。

「ワタル。これは酷いよ。ホウエンでは雪なんて滅多に見ないから、ボク、一生分の雪を堪能した気がするんだ」
「もっと堪能できる」

 にっこり笑って二人分のスコップを見せるとダイゴは面白いほど嫌そうな顔をした。

「ワタル。ここ、山だよね」
「そうだな」
「山に雪かきは必要ないのでは」
「そうかもな」
「…………」
「…………」

 ダイゴは、ニコニコっと笑った。俺もニコ、と笑う。

「病みあがりにこれは酷いんじゃないかな」
「何事も、リハビリがてら」
「…………ふぅん?」
「たまに珍しい石が取れたり」
「ほんとうかい!」

 スコップをちょうだい、とキラキラした目で訴えてくる。子どものようにはしゃいで。

「……と思えば少しは楽しめるんじゃないか」
「…………」 

 ムッツリとして、喜んで、またムッツリした顔にくっくっ、と笑った。俺が笑ったことに驚きはしたが、ダイゴも、しょうがない、とでも言うようにくすくすと笑った。

「桜が咲くんだ、ここ」

 ぐるりと見渡せばすべて同じ種類の木が俺たちを見下ろす。

「だけどフスベの雪はかなり重くてね。枝が折れたり幹が腐ったりするとすぐにダメになってしまう。村一同でやるにも、山奥の天気は変わりやすく、すぐに牙を向いて襲いかかる。だから」

 スコップを投げた。ダイゴが落ちる前に受け取る。

「相当の実力者だけが、入山を認められる」

 それを聞いて、

「つまり、ボクが求められているのは」 

 少し考えて、

「……雑用?」

 コテ、と首を傾げた顔に苦笑する。

「おいおい、そんな貧相な役割じゃないよ」

 ダイゴがスコップの調子を見るとまず脇にあった雪山を解した。解しても解しても雪は溜まるばかり。

「どう考えても終わるわけないよ。なんの冗談かな」

 落ち込んだ絶望の声が期待通りすぎてハハッと笑った。

「大事なことなんだ」

 雪に埋もれてしまった靴を、それぞれキツく紐で結いた。それを見たダイゴは、不思議そうな表情をして、

「靴ひも、キッチリしすぎじゃないかい?」
「……いいんだ」

 これぐらいが、ちょうどいい。その様子を見たダイゴはこう言った。

「スコップなんて建前だろう? ワタル」

 律儀に掘り進めていたダイゴが、スコップを突然放り投げた。ドス、と少し離れた場所に落とすと、その振動で近くの木に積もっていた雪が大量に落ちてくる。
 スコップの代わりに手に持ったもの。
 細やかな手が、しっかりと握っていたのは、一つのモンスターボール。
 あぁ、もう分かったのか。もともとその予定だったしな。

「……言うことはひとつ」

 バッと振り返って、

「目と目が合ったら」 

 ダイゴは笑った。俺も、笑った。

「ポケモン勝負!」

 二人の声は重なった。フスベ中に、そして空まで届くように響き渡る。