パチ、と目を覚ます。
仮眠をとってからどれくらいの時間が経ったのだろうか。すぐに出発の支度をした。
ポケナビを起動する。地下深いところにいる割には、かすれた音でつながった。
電波は無事に復旧したらしい、が。映る映像には今が夜なのか朝なのか分からないほどホウエンの空は相変わらずドス黒い天気だった。
天候を操っていた元凶は叩き潰した。あと問題なのは、シーキンセツの方だ。
あそこでは、まだ何人か計画を実行に進めようとしている輩がいるらしい。
ひねり潰しに行くに、時間は残されていない。天気研究所によると、ムロタウンから109番水道にかけてはまだ酷い嵐が続いているとのこと。
シーキンセツを沈ませる人工地震を誘発させる機械は、シーキンセツにあるらしい。証拠はもろとも海の底に流すつもりだということと、ニューキンセツはカモフラージュに過ぎなかったことが判明したのは、気絶寸前の男から吐き出させたときだった。あまりにも、遅すぎる。
どうやら、キンセツシティの男は、思っていたよりも緻密に計画を練っていたらしい。
「…………」
妨害電波を浴びすぎたモンスターボールの調子は戻っているのか、確証が得られない今、ポケモンを出すことは危険だ。シーキンセツが本拠地だと言うのなら、なおさら。なるべく、この身ひとつだけで穏便に済ませたい。
問題はどうやってシーキンセツに行くことかだ。あそこは海に囲まれている。ヘリで行こうにも、傾いている船の甲板にこの嵐の中、上陸するのは不可能と言ってもおかしくない。だからといって、小回りがきく船を今から用意すると相当な時間がかかってしまう。
ここは俺の管轄外だ。許可を取るにどこまで融通が効くか。
「っと……」
立ち上がると目眩がした。鉄の上で座って寝ると、頭に重力のしこりが残る。
さて、どうしたものか。
時間はない。考える前に動く必要があった。すぐに整えてニューキンセツをあとにする。と、
雨風も酷いせいで波が暴れるその上に、いつのまにか船があった。俺がここに来るときには無かったはず。
「待っていたよ。男前さん!」
バタバタと操縦室から出てきたのは一人の老人。それに着いてくるのは小さなキャモメ。
「ホウエンが大変なときに、力になれるならいつでも使っておくれ!」
「あなたは……もしかして」
「ゲンちゃんから話は聞いたよ。ポケモンレンジャーを伝達手段に使うだなんて、なかなかキレるじゃないか!」
口を大きく開けて白い歯をニカッとさせた。
「シーキンセツに。行くんじゃろう?」
「なぜ、それを」
船の様子をみた。波にゆさぶられている鉄の塊は今にも流されそうだ。
「あんた、空から行くつもりなんだろ。ほっほ、目でわかるよ。いい目をしとるが……でもな、それはやめたほうがいい」
黙っていると老人は首を振った。
「空は危険だ。異常な天候のせいで、普段よりもポケモンたちの気性が荒い」
老人が空を見上げる。雨も風も強く、黒い雲に包まれた空は不気味だった。
「それに、ポケモンはいたわってあげないとね。あんたの身体も」
ポンポン、と俺の肩を優しく叩く。自分がボロボロの姿を見てなにか思ったのか、労うような声色で。そして、
「ガタはあるが、まだ現役じゃよ」
はっはっ、と愛用の船を叩いた。シワが多い顔は老いを知らないほど自信満々だった。
「舐めてもらっちゃ、困るね」
二回手を叩いて鼓舞すると、甲板から操縦室に潜り込んだ老人は鍵を手に取って俺に窓越しに叫ぶ。
「気持ちだけは大船さ。さぁ! 乗って! 揺れるから勢いよく頼むよ」
俺が乗り込むとすぐにけたたましくエンジンのかかる音がした。だが旋回した向きが俺が思っていたのと逆方向。
操縦室に俺も入って声をかける。
「そっちは、行き止まりなのでは」
すると老人が海図を投げてきた。そこにはびっしり線が引かれていて、中でも特に太くて赤い線が目に付く。インクが乾ききっていないことからおそらく一番最近に引かれたルートだ。
103番道路を横切る海からシーキンセツにかけて一直線に引かれている。
「実はの、すてられぶねに行くには、普通カイナシティから大きく回ってぐるりと旋回する、ってのが普通だね。だがなぁ、」
確かにシーキンセツに行くには普通ムロタウンかカイナシティを経由し、107番水道と108番水道を通るしかない。
「今は異常事態。やたらと変な道を見つけたんだよ。いや、さっき知ったんだがね」
トントン、と老人が指で海図を示した。
「なぜか、この道に、洞窟が通ってる」
その道はもし存在しているなら確かにシーキンセツに通じる最も近い道ではあるが。その間には大きな陸が阻んでいるはずだ。空から確認したことがある。
「どうして、洞窟が──」
顔を上げて背筋がピリッとした。行き止まりなんて生易しいものじゃない。
目の前に大きな岩が立ち塞がっている。このまま衝突すれば間違いなく船は木っ端微塵だ。モンスターボールに手を伸ばす。
「破壊する!」
「必要ない!」
「このままだと!」
老人は、自分の相棒であるキャモメに目で示した。命令をせずとも、開けた窓から吹っ飛んだキャモメは、船の後ろにぴったりとくっつく。キャモメから繰り出されたれいとうビームは波の流動を固定し、そのあとすぐさまエアスラッシュを繰り出される。
すると、大きな津波が俺たちを今に飲み込もうと後ろから追いかけてきた。
まさ、か。
「あんたはその立ぃ派な頭抱えて」
俺は言われたとおり頭を庇い、船から吹っ飛ばれないよう身を低くしててすりにしがみつく。次の瞬間、大きな波が船のプロペラを巻き込んだ。
グランッ!と船が起き上がる。まるで梃子で押し上げれたのように、船は上へ勢いよくぶっ飛んだ。船が一瞬、空を飛ぶ。
「しっかり掴まれッ」
大きな音をたてて船は前から落ちていった。尾っぽも波にぶつかると、波しぶきが甲板をびしゃびしゃにする。
振り返って、ゾッとした。凄まじいスピードで海を駆ける船からでは、俺たちを襲いかかろうとしていた岩はもう遠く離れていて小さい。それでもてっぺんの尖っている鋭さはよく分かる。もし、少しでも狂いがあったら、今頃この船は串刺し状態だ。
「な……なんて……」
「あっはっはっ、まだまだ腕はなまってないじゃろ?」
船はスピードを下げず、突進し続ける。雨も風もすべて巻き込んで景色が真っ暗になった。洞窟に入ったのか。
「みてみなさい。洞窟にしては壁にできている線や窪みが人工的。悪い人間がこっそり掘り進めたに違いないよ」
確かに、地形的にここに洞窟があるのは不自然だった。
「まぁ、そのおかげで」
波飛沫が開けた。その先に、おおきな鉛の固まりがななめに沈んでいる。あれが、
「すてられぶねは、もう目の前だね」
シーキンセツだ。
洞窟から出た瞬間、激しい風に横殴りにされる。船がその力に負けてグルングルンと旋回し始めて必死に操縦室にしがみついた。振り回されながらもシーキンセツに、徐々に徐々に近づいていく。雨も風も邪魔してくる。ひっくり返りそうになった船内に、胃がぐるぐるとかき乱された。
なんて、操縦が上手いんだ。下手したらすぐに倒れて沈んでしまうというのに。
「問題はどこに船を落ち着かせるだな!」
老人は舵をグルグル回しながら、あちらへこちらへ船を停める場所を探っている。どう考えても、近付けそうにない。
シーキンセツにぶつかる波は激しく、少しでも油断すればその波でこの船は粉砕するだろう。
「なら、」
シーキンセツがもう目の前のところで俺は甲板に飛び出した。
それを見た老人が目を見開く。なにしてんだー!と叫んで怒鳴った。
「船を、もう少し寄せてくれ!」
「あんた、気でも触れたか! はやく船内に」
「いいからッ!」
視界は悪く、船も安定しない。これでシーキンセツに密着し続けるのは不可能だ。
なら、
「あと少し!」
「この波だともう限界だ!」
早く戻れー!とまた怒鳴る。俺は逆らって、船の手すりに足をかけた。ガラス越しに見えた操縦室の老人の顔が青ざめる。
船は固定できない。不可能だ。なら、俺がすることはひとつ。
「あんた。な、なにをッ」
手すりにかけた足を蹴りあげた。つよく。手をめいいっぱい伸ばして、ギリギリのところで傾いているシーキンセツの甲板の手すりにしがみついた。
体重で、ミシッ、と手すりが軋む。下手に動くと、錆で割れるかもしれないと一瞬、ひや、とした。
危ない。すれすれだったな。ぶら下がった状態で軽く息を落とす。足元すぐそこでは、俺を飲み込もうとしている乱暴な波が、シーキンセツに体当たりを繰り返す。少しでも足の位置を間違えれば波に絡まれて俺は海の藻屑だな。
足を振り上げて身をひっくり返し、そのままに着地。風によろめかないよう姿勢を低くした。
「ありがとう! あなたは安全なところへ移動を!」
見下ろした船はシーキンセツのでかい船からだとかなり小さく見えた。
操縦室にいた老人は、肝を潰したかのようにポカン、としていた。すぐに呆れたように笑って、風と雨に流されながら、船をとんでもない速さで撤退させていく。
本当に危ない状態だったのだろう。燃料が足りて心の底から安心した。
「誰だッ!」
甲板から船室に入ると、壁がボロボロの廊下で一人の男が俺の前に立ち塞がった。あの男の部下か、仲間か。
「お前……どこから……ッ」
ポケナビの画面を見せると、信じられないものでも見るかのような顔をする。
「きみたちの悪事はすべて暴いた。キンセツシティの男も、ニューキンセツの仲間たちの身柄も拘束されている。諦めて投降するんだ」
「なッ……」
男の顔がサッと青ざめる。だがすぐに口角を上げて、ポケットから小さな端末を取りだす。表情には余裕なんてない。僅かな希望に縋るように震えていた。汗がたらりと流れて。
窮鼠猫を噛むとはこのことだな。
「なにをする気だ。無駄な抵抗は賢くないよ」
「なにするって、ドッカーンッ! に決まってるだろ。……ホウエンをな」
大袈裟に腕を広げて、下品な笑い方をした。何が楽しい。
「命を、なんだと思っている」
鼻でハッと笑って、ニヤニヤと口角がうねる。楽しげに話す。
「ニューキンセツから地下を通じ、シーキンセツにちまちま備蓄していた隕石エネルギーを使えば、人工地震なんて容易い。俺たちの技術の結集さ! ここはすぐに沈む!」
「もう意味はない! きみたちの計画はもう水の泡だ。スイッチを捨てるんだ!」
「でっかい津波でシーキンセツなんざ一瞬で溺れる。ついでにホウエンの各地を壊滅させれば、俺たちのしたことなんて軽い問題になるだろ。みんな構ってられない」
逃げる気か。そのために、ホウエンを犠牲にしてまで。どうしようもないな。
足を動かせば、おっと、と言って男が手のひらを見せた。わざわざスイッチを見せつけるかのように。
「俺の親指ひとつで、災害ぐらい簡単にできる。……動くなよ」
ヘラヘラ笑って、スイッチをポケットにしまうと俺の後ろに回ろうとする。空っぽの手には代わりに手錠を二つ持っていた。
「……なら、」
男が俺の手首に手をかける。金属がぶつかる音がした。
「スイッチを押す前に、きみを殴ればいい話だ」
振り返って顔面に一発。すかさずよろめいた足を蹴って身体をなぎ倒した。胸からふっとんだ機械をつかんで、床に叩きつける。足を落とせば、電線は弾け電気を散らしながらそれは粉々に砕けた。ついでに足で蹴った手錠は後ろの扉から甲板を滑って海の下へ落ちる。
「ッてめ」
すぐに起き上がってなりふり構わずに突進してきた身体を受け流して軽く避ける。勢いに雪崩た男が体勢を崩して前に派手な音を立てて転んだ。
そのとき。
転んでぶつかった地面に顔面から引きずった男のポケットから飛び出るもの。
ガラン、と音を立てて跳ねた。見覚えのあるものに血の気が引いた。
「……なぜ」
声が、震える。
目を疑いたかった。でもどこからどう見ても、指輪だった。かなりゴツく、特徴のある四つの指輪がバラバラに落ちていった。
そのうちの一つが転がって、俺の靴先にぶつかって止まる。
知っている。知っているさ。あれだけ、何度も目にしたのだから。
あれだけ、彼の手を握ってその感触は目も手の皮膚も覚えているのだから。
だから。
疑うことは出来なかった。
「なぜ、これが」
匂いがした。錆と、そして。──こびりついた血の匂い。
「……その男はどこだ」
拾い上げる。かなり、冷たい。ゆっくりと立ち上がって振り返ると男がヒュッと喉を鳴らした。
「理解できないかい。そこまで頭は悪くないだろ」
情けなくも、腰が抜けたまま咄嗟に逃げようとした胸ぐらを掴む。持ち上げる。ジタバタ暴れる足を大人しくするよう壁まで誘導し、ねじ伏せた。睨みあげて脅す。
それでもすっかり怯えきっているせいで、歯をカタカタ震わせて首を振った。そのベラベラ吐き出した口はもう、使いものにならないのかい。
ふざけるな。
「きみが持っていた、この指輪の持ち主は、どこにいるんだ、って、聞いているんだ」
こたえろ。
「答えろッ!」
ドォンッ! という音を立てて、次に奥の壁が崩落した。船の中が激しく傾く。甲板につながっている扉は勢いよく閉まり、二人諸共滑って、転がるように向かいの壁に激突した。男を掴んだ手が離れそうになるのを、なんとか堪える。
「ッ…………」
何が、起こった。
起き上がろうとするとまた大きな轟音を巻き込んで船内が激しく縦に揺れる。スイッチが歪みで誘発したのか。津波がまさか、と思ったがどうやら違うらしい。その震源はすぐ脇からだった。
中で何が起こっている。別の部屋でまさか乱闘が。
避難しきれていない観光客でもいたのか。はたまた住みついているポケモンとの戦闘か。
壁に激突したせいで鈍い痛みがある頭を抑えて、膝を支えて立ち上がった。
手加減することを忘れたせいで喉が絞まったのか。俺の下敷きになっている大柄な男は泡を拭いて、その首は曲がっている。気絶したか。
もう必要ないとその場に捨てる。急いで廊下を走ると。
途中の、扉から。
「ぐぁァッ!」
ひしゃげた扉とともに体格のいい男が廊下に飛び出てきた。男の身体は吹っ飛んで壁に激突する。そのままずるずると、壁から剥がれた瓦礫と一緒に魂が抜けたように床に落ちる。
顔を覗き込む。白目を剥いていた。
すぐに飛び出てきた扉の縁を掴む長い指が見えた。次に、
「……ッわ」
ボロボロの姿で現れた彼は俺を見て驚いた。
「……ワタル?」
たった三日ぶりだというのに、名前を呼んだその声も、顔も、姿も、表情も。
まるで長い時間が俺たちの前に過ぎてしまったかのように、きみは、俺の名前を呼んだ。
「どうして、きみが、」
ここに。
告げる言葉が、重なる。りゅうせいの滝でも、浅瀬のほら穴でも、きみは俺を見つけるたびにそう言った。そうだった、な。
ここに、いたのか。
「……ダイゴ」
同じ言葉なはずなのに、同じじゃない。
もうその一言で避けられない事実。その答えに、やっと。見つけた。
俺たちは、もうすでに、それほどの時間を共に過ごし、交わっていたんだ。
だから、俺も同じ言葉が滑り出た。
「……俺もいま、まさに聞こうと思っていた」
ピタ、と身体が止まる。ダイゴもなにか気づいたことがあるのか、くしゃ、と笑った。
「揉めている声が聞こえたと思えば、まさか、きみが……」
ダイゴは俺に近寄ろうとする。が、ふら、と、体が揺らめいた。
「ッ……」
「!」
ダイゴが苦痛に表情を歪める。次の瞬間には、くたん、と前かがみに落ちそうになったのをすかさず支えた。ワイシャツは埃を被っていてところどころ糸がほつれていた。焦げ臭い。
「怪我はッ!」
「大、丈夫だ、……ワタル。ポケモンのキズぐすり持ってるかな……? ちょっと……無理させちゃって」
ダイゴが振り返る。すると、彼を心配するようにボロボロのキャモメがついてきて、彼の肩に止まった。頬擦りをして、ダイゴをいたわる。ダイゴはにこっと笑って、
「ボクは、大丈夫」
その身体を優しく撫でた。確かに、キャモメの羽毛は埃まみれで、かなりフラフラしていた。俺は、すかさずキズぐすりを取り出した。妨害電波があるなか、モンスターボールにしまうことは出来ない。ダイゴもそれを理解しているようで、優しく撫でると肩に引っ掛けていた大きなカバンの口を開き、その身体を優しく入れた。キャモメは、安心したように眠る。
「きみの手持ちじゃないだろう。なぜ、キャモメが」
「話はあと。いまは、」
すく、と、立ち上がる。俺の支えはいらないと拒絶するように。だが身体に上手く力が入らないのか、ふらっと、傾いた床に倒れそうになった。
そのとき、捲れたうなじ。
見えてしまった肌の色、そして、皮膚の状態に目を見張った。
「ッきみ! まさか──」
「ワタル」
俺がかけようとした言葉を振り払うようにダイゴはこちらを見ずに言う。
言い聞かせるように。
「ボクは、大丈夫」
ようやく振り返って、俺の目をしっかりと見る。
「信じてくれ」
ただ真っ直ぐに、見つめたつよい色をした目を見た俺は言葉を失った。
奥の方からバタバタと音が聞こえる。どうやら騒ぎを聞き付けた輩がまだ残っていたらしい。
ダイゴが真っ直ぐな姿勢を正して、
「キミたち、もう諦めた方がいいよ」
ダイゴの片手には小さな機械。それは、俺がキンセツシティでもニューキンセツでも粉々にしまくったものと同じものだった。
妨害電波の発信源であるそれを、ダイゴは床に落として足で粉々に壊した。それを見て分かりやすく青ざめた顔たちに、俺もダイゴも睨む。
「……力を貸してくれると嬉しいな、ワタル」
こっそりと、俺だけに聞こえるように彼はそう言った。
俺たちは、モンスターボールをそれぞれ手にとって。そしてダイゴが低い声を出して言う。
「……まとめてかかっておいで。ボクたち、すごく強い上に、」
変わり者だから、とダイゴが付け足した。あとでそれについてじっくり話し合う必要があるな。
すべてが、終わったあとに。
