言蝕
ミシミシという音が聞こえる。
屋敷の床をふみしめるたびに、足元から木の匂いが滲んできて、鼻腔をくすぐった。
足を止めて、ガラス戸に目を向ける。庭には雪が振り積もっていた。分厚い雲のせいで、月明かりすらない。
真っ黒なガラスには、おれとダイゴの姿が映っている。肩に抱えた彼はぐったりで、おれの目だけが、光を帯びて揺れていた。
「ぅ、……ん……」
「っ……と」
肩から落ちそうになったダイゴを支えなおして、歩くのを再開した。
奥の奥。
たどり着いた自室に入る。襖を後ろ手で閉めてから、敷かれている布団にダイゴの身体をやさしく下ろした。
くったりとした力のない四肢は、抵抗もなく布団に沈む。寝ているようにも見えるが、まだ、おそろく起きているだろう。呼吸が不規則だったから。
取り出したマッチで行灯を灯し、香炉に火を分ける。いつもなら香炉の匂いで起き上がるはずのダイゴは、ぴくりともしなかった。
どうやら相当酒が回っているらしい。
それもそうだ。じいさんにあんなに飲まされたのだから。
「ダイゴ。……葛湯をもらったんだ。飲んでくれ」
湯呑みを手にして、傍にしゃがむ。
「う、……ん……」
おれの声に反応して、赤らんだ顔をこちらに向けるが、目が開いていない。姿を探るように伸ばした手が、おれの袖を掴んだ。
「ッと……」
クン、と引っ張られて、片膝をつく。手から湯のみが滑り落ちそうになったのを、親指に力を入れて防いだ。それよりも、
「ダイゴ、しっかり」
おれのうなじに腕を絡めた彼は、抱きついたままだ。その頬を軽く叩く。
「……明日に響くだろ。口、開けて」
ダイゴは酒癖が悪い方ではないが、これは酷いな。
酔っ払いに下手に力を入れてしまったら、とても危ない。困った。絡まっている腕を解こうにも、片手は湯呑みで塞がっている。
どうしたものか、と頭で考えていると、ダイゴが口を耳元に寄せてきた。
ちゅ、とキスをしてくる。
「さっき」
柔らかく、静かな声。舌足らずの言い方だった。
「きみは、勝負に水を差した」
次の言葉は、少し鋭かった。機嫌が悪いらしいことに、そこでやっと気づいた。
「本気だったのに」
「水を差すってなぁ……」
ダイゴをあぐらの上に座らせて、湯呑みを畳の上に下ろす。それでもダイゴは、おれの首に腕を絡ませて離そうとしない。
「賭けをしてたんだよ」
その言葉に反応して、鉄瓶を掴もうとした手が止まる。
「……知りたい?」
追いかけるようにして、ダイゴはおれの手に指を重ねてきた。くるくると、手の甲の血管をなぞるように円を描く。
「ちょっと黙ってろ」
振りほどき、鉄瓶を持ち上げる。はしたないが、そのまま鉄瓶の口から水を含んで、ダイゴの顎を掴んだ。すぐさまキスをする。
「ん、……ふ……、」
舌を入れると、口の中は茹だったように熱かった。
「、……む……」
くちゅ、と、口を封じたままキスを深める。
ダイゴが水を飲んだのを確認して、ゆっくりと離していった。飲み込みきれなかった水が、唇から零れて顎を伝う。
行灯の光に焼かれて、ダイゴの白い皮膚も、腫れてぽったりしている唇も、酒で少し赤らんだ頬も、伝っていく水も、橙色が重なっている。
ダイゴは目だけ俯かせた。
「ねぇ、ワタル。きみ、欲情しているだろ」
目をとろ、とさせたら、おれをジッと見上げる。
「そのきっかけを、……教えてくれたら」
ダイゴはおれの手を持ち上げ、
「…………ふッ……」
優しく触れる程度のキスをした。唇を手の甲にあてて、滑らすように指の付け根に。ちろ、と舌を出して、爪にかけて唾液を含ませて舐めてくる。
人差し指の腹で押した唇は、やはり、ぽったりしていた。
「臆病にでもなったのかい」
こちらに向けた目は、行灯の光が滲んでいた。おれの切りそろえたばかりの爪の先を柔く噛む。
「きみらしくも、ないね」
もう我慢ならないのか、ダイゴはおれを布団に押し倒した。
「いいからはやく、素直になりなよ」
ダイゴは、その小さな口を控えめに開けて、自分の人差し指を舐めた。
おれの上に跨っている彼は、酔っているにしては、動きはしっかりしている。
腰を軽く浮かせると、指を口から引き抜いて、そのまま着物の隙間に潜らせて、
「うぅ、ん……ん、」
ぬち、と、音が響く。夜中の静けさに、それはよく聞こえた。
「ん、ぁ……あッ……」
ダイゴの声が、少しずつ色を帯びて濡れていく。甘く。
黙ってその様子を見ている。だけれども、やはり酒が相当回ってるらしく、上手く力が入らないらしい。
指をもどかしく動かしたり、腰がへな、とお腹の上についたり浮かんだりするのを見ると、いてもたってもいられない。
仰向けに寝そべったまま、右手をダイゴのお腹に伸ばした。着物の上から、脇腹から胸にかけて皮膚をするりとなぞっていけば、ダイゴの身体がびくびくと痺れ、背中をしならせる。
彼の肩にひっかかっている襟を開いて、めくるように着物を剥がした。すとん、と布が腰に落ちていったのをぼんやり眺めた。
「ダイゴ。……上を脱いで」
「…………」
「脱ぐんだ。暑いだろ」
顔が真っ赤だ、と、起き上がりながら、胸元、喉仏を過ぎて、頬に指を滑らす。やはり、茹だったように彼の熱はものすごかった。
指の背で優しく撫でると、
「んッ……」
ぶるッと、跳ねて、ダイゴが眉をしかめた。
ダイゴは、おれの膝の上に座り直すと、おずおずと帯を弛めた。
「帯を解け、って言ってるわけじゃない。……分かってるよな」
「……中、は」
ダイゴは目を逸らした。おれは両手で頬を挟み、こちらを向かせた。
「……見られたくないのか」
「見られたくない、というよりは」
ぎゅ、と、眉をしかめる彼の顔を堪能する。笑みがこぼれそうだったのを、引き締めた。
「見たくない、の方が近いかな」
「……そうかい」
おれがその言葉に、とうとう堪えきれず、笑みを浮かべてしまう。
ダイゴは観念したように、手を下ろした。
おれが少し前に渡した、丈も裾も合っていない、黒いタートルネックに手をかけて、一気に持ち上げる。
ばさりと、音を立てて、背中から服が落ちる。行灯に照らされて、真っ白な肌が空気に晒されていた。寒いのか、ぶる、ッとダイゴが震えた。
つつ、と指を滑らせる。脇腹から、胸元へ、最後には、喉仏を、順に親指で押すと、ダイゴがなんとも言えないような目つきで睨んできた。
「……満足そうだね」
背中も、うなじも、鎖骨も。
胸元も、へその周りも、そして、おそらく太ももの内側も。
ダイゴの白い肌には、染物のように点々と、赤い痕、引っかき傷、噛み跡がこびりついていた。
「綺麗だよ」
「悪趣味」
「何を今更」
いったい、幾度、きみの口からその言葉を聞いたものか。おれたちが出会ってから、今に至るまで。
それほど時間が重なってきた証拠だ。
最初聞いたときは、驚きはしたけれども、ダイゴがおれのことを評価する言葉は、彼だから見えるおれの姿を表している。
だから今は、特別なもの。だけど、繰り返されるうちに、普通のものになっていた。
おれも一緒だ。
「きみも、大概のくせにな」
おれがきみに渡す言葉は、おれにとって見えるダイゴの姿だ。
おれの背中を見せてやろうか。うなじでも、脇腹でも。きみが噛み付いた跡。引っ掻いた跡。抉った傷。きっとまだ、残っているだろう。
だけど、それじゃ、まだぬるい。
それは、きみだって一緒だと、信じたいよ。
「んッ……」
露になった白い肌。赤い痕を辿りながら、柔らかい皮膚を揉みほぐすように指を滑らせる。脇腹から胸元にかけて撫でると、ダイゴが反応した。すっかり、敏感になってしまった皮膚は、やはり、頬と同じぐらい熱かった。おれの手も、負けないほど熱かった。
「ぅ、……ん、」
和室の寒さのせいなのか、ぷ、と乳首が硬く芯を持っていた。指で押しつぶすと、ダイゴが腰を引こうとした。逃がさないよう、腕と手を腰にまきつけるようにした。
やわく乳首を噛む。舌先が軽く触れる程度に舐めて、
「あッ……」
じゅ、と吸うと、肩を掴んでいたダイゴの爪が着物とおれの皮膚にくい込んだ。
「う、ん……ッ……は」
「ッ……く」
気持ちいいのか、膝の上で軽く腰を揺さぶっている。はやくはやく、と急かすようにも見える。
ダイゴがたまらなく気持ちよさそうに、甘い声をあげながら、肩に絡めていた手を動かせば、おれの頭を撫でて、指で髪をもてあそぶ。そして、ゆっくりと襟首から手を背中に潜らせていった。
手は、熱く、指輪は、ひんやりと冷たかった。その感触に、肩がはねる。
「……ふふ、今、びっくりしただろ。いい反応だ」
「指輪が冷たいんだ」
お互いに向き合って、互いに抱きつくような形のまま、肌を堪能する。
「ワタルの肌は、あったかいなぁ……」
ちゅ、と、肩口にキスをしてくる。耳もとで頬をすりすりしてきた。
「もっとあつくなってよ」
「これ以上暑くなってもな」
おれも脱いだ方がいいか。かなり汗が滲んできた。
着物をはだけようとすると、ダイゴがその手を止めた。
「違うさ」
ダイゴはそう言って、脇に置きっぱなしだった、残りがほとんどない徳利を掴む。指輪がぶつかって、派手な音を立てた。
しまった。夕方のものを、片付けるのをすっかり忘れていた。
「もっと、ボクの熱に溺れて」
日本酒を一気に口に含むと、おれにまた唇を重ねた。
口の中に流れてきた日本酒も、彼が搦めてきた柔らかい舌も、おそろしいほど熱かった。
アルコールの芳醇な熱は、いつだって頭に血がのぼる。
「……夢中になって」
ぐら、ときた。
