不覚暁に星は輝く✱r18 - 19/34

 七、眠れる龍を起こしてはいけない

 

 カイナシティの人々はまさに阿鼻叫喚に包まれていた。
 あんなにもカラッと晴れていたはずの空は、突然、みるみるとドス暗く厚い雲に覆われて、前も見えないほどの雨と風が勢いよく襲いかかってきた。身体が引き裂かれるかと思うほどの雨から、建物に逃げ惑う人々が右へ左へ蠢くのを、俺はぶつからないように避けながら走っていく。
 まだ、夕暮れどきだ。それなのに、カイナシティはみるみる真っ暗になっていった。それが、余計に人を怖がらせた。夜のように、暗闇が濃くなる。
 ポケモンセンターの前は混乱状態で、コンテスト開催期間もあってか、市場にいたたくさんの観光客が雪崩のように流れていく。
 子供の泣く声、不安な女性の声、何が起こっているか分からなくて怒り散らす男性に、ポケモンたちもどうしたらいいか分からず、入口付近で押し寄せた人の波は、詰まっている。
 雨と泥に転びそうになった子どもを、人の波に押しつぶされないよう咄嗟に拾い上げて、俺も一緒に建物に駆け込んだ。が、

「ッ……どういうことだ」

 ポケモンセンターの扉が、開かない。それを合図に、次々と電気が消えていった。ポケナビのニュースを見ていたトレーナーが悲鳴をあげた。ぷつ、と、その画面がフリーズしてしまって、情報が途切れてしまったことに不安に襲われたのかますます泣きそうな少年をなだめる。

「大丈夫だ」

 ハッ、と顔を上げて少年は目をうるませた。限界だ。これ以上不安にさせるわけにはいかない。
 ドアはビクともしない。後ろを振り向く。人は、次々に増えていく。

「離れてくれ!」

 ならば蹴破るしかない。子どもを抱えたまま、傷つけないようマントに包んだ上で背中から突進した。
 パリーン!という音を派手に立てながら、ガラスは粉々になった。

「さぁ、中へ!」

 耳を劈く大きな音に、腕に抱き抱えていた子どもがもう我慢できないのか、ひときわ泣く。親を求める泣き声は、おそらく迷子になっていたのかもしれない。
 俺の声を拍子に、周りは救世主でも現れたかのような顔で俺を見て、みな、ポケモンセンターに逃げ込んだ。
 中をぐるりと見渡す。非常灯だけかすかについていた施設内は、ほとんど真っ暗だと言ってもおかしくない状態だった。
 女性スタッフたちが、右へ左へ駆けていく。その中の一人の腕を掴んで引き止めた。

「なにがあったんだ」
「突然、カイナシティ中すべての電力が落ちたんです! それに、酷い雨と風で……情報を確認するにも、電波が……」

 スタッフの女性の肩と手が小刻みに震えていた。今にも泣きそうな顔をして、瞳をうるませている。もしかしたら、施設内のポケモンたちに何かあったのかもしれない。
 もし、もしだ。緊急手術中のポケモンがいたとしたら。

「非常用通信手段の状況は」
「ポケナビも、パソコンも、電話もすべてやられています。電波が、……電波がッ……」

 声が、カタカタと震えている。

「落ち着いて」

 その肩を優しく叩くと、俯いていた顔がハッと上がった。

「きみが不安になると、輪が広がって周りも不安になる。きみの仕事は、みんなに安心を与え、命を救うことだろう。しっかりするんだ。大丈夫」

 ゆっくりと声をかけると、女性の震えが和らいでいった。

「は……い」
「ワタルさん! ワタルさんはこちらにいらっしゃいますか!?」

 遠くの方から、俺の名前を呼ぶ声が聞こえた。そちらの方をみれば、ちょうど受付横の階段を男が駆け下りているところだった。人の波に揉まれながら、叫んでいる。見たことのある顔だった。

「……この子を。迷子みたいなんだ」

 抱き抱えてぐずっていた子どもを、女性に託す。

「きみならできる。頼んだよ」

 肩を優しく掴む。俺を見上げる女性の顔は、もう、揺らいではいない、真っ直ぐとしていた。俺は頷いて、呼ばれた方に駆け寄る。

「ワタルさん! あぁ、よかった。こちらにいらしたんですね」

 俺を見つけた男は、カイナシティ所属の若い警察官だった。

「応援要請がかかっています。屋上に来てください。あなたの助けが、必要なんです」

 お願いします。と、縋ってきた警察官の顔は、事件の深刻さを語っていた。すぐに一緒に屋上へ向かう。
 外は、まるで嵐が訪れたように風も雨も強く、少しでも油断してしまうと吹き飛ばされてしまいそうになる。
 マントで庇いながら、ゆっくりと前に進むと、上空からローターが激しく回る音が近づいてきた。

「ワタルさんッ!」

 ヘリコプターが、完全に着陸する前に男が降りる。軽く敬礼をした顔には、見覚えがあった。ホウエンに派遣されている、仕事仲間のひとりだった。

「ぜひとも、協力してください」

 雨風に目を細めながら、俺に駆け寄ってくる。

「ホウエンは、今、大混乱です」

 ヘリコプターが完全に着地した。

「さぁ、乗って! かなり揺れますよ!」

 先に乗った男の手を掴んで、かなり不安定に揺れる車体に乗り込んだ。 飛び立つ前に振り返り、入口の縁に手で捕まって警察官に叫ぶ。

「きみはカイナシティの、まだ避難できてない人々を誘導してくれ!」
「了解!」

 入口を閉める。上昇したヘリコプターの窓越しに見た景色は、酷かった。 どす黒い雨雲がどこまでも続き、まるで地上の様子が見えない。 ローターが不安定な音を立てて、ガタガタと揺れる。

「……まさか、ホウエン地方すべてが、この天気なのか?」
「その通りです。局所的にこの地方だけ、雨雲が広がっているのです。おかしいのは天気だけではなくて、」

 見てください、と、同僚はポケナビを取り出した。しかし、端末を起動させても、うんともすんとも言わなかった。

「ポケナビだけではありません。テレビも、パソコンも、ラジオですらも、すべての電波が妨害を受けています。それに、この電波……様子がおかしくて」
「様子が?」

 同僚が、ちら、と下を見た。天候の悪い景色越しに大きな鉄の塊がぼんやりと姿を現す。

「それを今、説明します。降りましょう」

 

 

「待っていたよ!」

 入口付近には一人の男が立っていた。すぐに施設の中に入るように促す。
 建物の職員が慌ててタオルを大量に持ってきた。ありがたい。濡れた身体を拭うのに使う。
 やはり、この建物も非常灯だけがかすかに明るくさせているに過ぎない。かなり中は暗かった。
 白衣を着た人々が、うんともすんとも言わないパソコンやスクリーンに向かって頭を抱えてる様子を見るに、ここも、電波の障害があるのだろう。

「ワタルさん。こちらは天気研究所で研究をしている博士です。博士、こちらはワタルさん。今回の騒動に協力してくださるそうです」

 さきほどの入口付近で俺たちを迎え入れた男だ。固く握手を交わす。

「助かります。主に雨を専門としてまして……いや、今回ばかりはどうもおかしいんですよ」
「博士! 緊急用の電力が復帰できそうです!」

 暗闇で姿は見えないが、向こうから職員の声だけが聞こえる。

「今すぐに起動させてくれ!」
「起動しました! 図を映します!」
「ネットは使えなくても、データはバックアップしている。さぁ、見てください。これが」

 ピピ、と起動音とともに、大きなスクリーンに映し出された図。それは、ホウエンの地図に、線や図形がびっしり敷かれていたもの。

「ホウエンの、数時間前の天気図、そして数分前に至るその動向です」

 図は描かれている線が数秒ごとに流れていく。あからさまに様子がおかしかった。特に、キンセツシティからカイナシティにかけての気圧配置図がぐるぐると混乱している。等圧線の間隔は勢いよく狭まり、風の強さと雨の強さの異常さを表した。

「天気予報は見ましたかな」

 俺は頷き、同僚も答える。

「見ました。今日は、ずっと穏やかな晴れのはずですよね?」
「そう。なのに、突然のことだ。数十分前に、キンセツシティを中心にあっという間に雨雲が広がってね。気圧がグッと低くなって、渦をまくように大気が乱れている」

 トントンと指で示したキンセツシティの気圧配置図は確かに、一番酷い。

「異常だ……こんなの……」

 同僚があまりにもひどい図の様子に、顔は青ざめ口を手で抑えた。

「その通り、異常なんです。こんなこと、……まるで誰かが意図的に仕組んだとしか」
「そんなことできるわけがありません。所詮科学の力なんて自然に勝てるわけがない」

 博士も、その言葉に強く頷く。

「天気を自由自在に変えるだなんて、人間には無理な話──」

 そのとき、その場にいた皆が顔を見合せた。嫌な汗を垂らす。 人間が無理だとしても、──ポケモンは?

「……そんな、またカイオーガが」
「ありえない! アクア団が大人しくなったのはつい先日のことですよ」
「カイオーガではなくても、天候を操るポケモンはたくさんいる。それを利用してたとしたら……」

 天候。ポケモン。雨。様々な要素と今までの出来事が点と点で結ばれ、線になる。
 りゅうせいの滝のこと。浅瀬のほら穴のこと。そして、祝賀会での、こと。

「……まさか」
「博士! 大変ですッ」

 奥の方から、職員が慌てた様子でこちらに来る。たくさんの資料を抱え、足がもつれそうになりながら。

「どうした!」
「これを!」

 持っていた資料を作業台にすべて投げ広げる。ホウエンの地図に、震度計の結果。それに、波の高度を示したデータまでが散らばった。

「107番水道から109番水道にかけて観測していた人工衛星のデータです。それに、地震計の震度観測結果も」
「……ッ、」
「博士、どうしました?」

 手で口をおおった言葉は、少し、こごもっていた。

「海抜高度が急変している……? いや、……それだけじゃない」

 ゆっくりと、咀嚼するように、ことの大きさを噛み締めるように。

「もし、もし………海底プレートにひずみが起こったら……、少しでも大きな地震が起こったら……」

 たらりと、顔に汗が流れた。

「もろとも、お陀仏だ」

 シン、と、静まった。その場の空気が凍りつき、全員が青ざめた。最悪の事態が一瞬で頭によぎる。

「嘘でしょう……ッ」
「これから大きな津波が来ることを想定しろ! 最悪、ルネシティまで沈むぞ!」
「キナギタウンを最優先にッ!」
「各ジムリーダー、リーグ支部にも連絡をッ!」
「すべてのポケモンセンターにも至急連絡をしてください! 全トレーナーに、情報共有を!」
「どうやって! 電子機器が一切使えないんだぞ!」

 混乱状態に博士の言葉がポカン、と浮かぶ。

「ポケナビが使えない今……」

 声は、震えていた。

「とんでもないことが、起こるぞ」

 それを横目で見て俺は近寄った。

「博士、お話したいことが──」

 その言葉を遮るように、片手が震えた。握っていたポケナビがかすかに振動したのに気づいた俺は、急いで端末を立ち上げる。
 電波が届かないはずの端末が、かろうじて受信したメールには、真っ白な文書に、ひと言。そして、ファイルがひとつ。

「…………」

 ロックがかかっていたそれを、俺は、簡単に開けた。目の前に広がった情報の過多に、目眩がする。
 乾く喉。
 息をするのも忘れそうになった。
 俺の横を走り抜けようとした職員の腕を掴むと、唐突なことに転びそうになった彼の顔を見ずに聞いた。

「今の、時刻は」
「え、……えぇ、午後七時十五分前です」

 それを聞いた俺は、ありがとう、と腕を離して踵を返す。

「……ワタルさん?」

 同僚の戸惑う声。すぐ近くにあった窓を乱暴に開け放った。激しい雨と風が一気に室内に入り込む気配に、その場にいた全員が揃いも揃って足を止めてこちらを見てきた。みな、目を見開き、口をぽかんとさせて。
 モンスターボールを手に取って、外に投げる。

「ワタルさん! どちらへ!」 

 同僚が叫んだ。俺は振り返って、

「きみたちは伝達を優先に! ポケモンレンジャーを集めて、空から直接各地に派遣してくれ! 今こそ、ポケモンたちの力に頼るしかない! 俺は──」

 戻ってきた空のモンスターボールを掴む。そして、

「おおもとを、潰す」

 窓から飛び降りカイリューにまたがって、一気に上昇した。

「ワタルさんッ!!」