燃ゆる彗星①〜⑤ - 17/18

「はい、もういいですよ」

 先生に言われて顔を上げる。
 眼球の検査に使う機械から顎を離せば、隣のモニターには青黒く検査結果が写し出されていた。
 先生はモニターを見て、手元にある書類を片手で引き寄せた。さらさらと書き込みながら、

「視界は」

 顔をあげずに穏やかな声で聞いてきた。

「だいぶよくなりました。遠くを見るとたまにぼやける程度で」
「良好です。回復が本当にお早くてびっくりですよ」
「そう、ですかね」

 ぎこちなく笑うボクに、先生は清々しく言った。

「あまり陽の光を浴びないようにしてください。おそらく、完治する目前ですから」

 お大事に、という言葉はあっけなくて、ボクはお礼を言うと、すぐに病院から出ていった。 手持ちのみんなに早く会いたかったのもあったけど、じっとしていられない気持ちもあって。
 でも、確かに久々に浴びた日光は、眩しすぎた。

 

 

 別荘に戻ったときには、昼の光も少し穏やかになっていた。
 入院中にホテルで預かってもらっていた荷物をいったん置きに来たはいいけど、ガチャガチャと玄関のドアノブを回したとき、あっ、と肩が跳ねた。
 しっかりと施錠がされていて、そこでボクは、別荘の鍵を無くしたままだということを思い出す。

「やってしまった……」

 どうしたものか。と顎に手を当てて悩む。そういえばお風呂場に通じる窓ガラスは、確か開けっ放しだったはず。
 庭をぐるりと回って、確認すればやっぱり、窓ガラスが開けっぱなしだった。
 うん、これぐらいの高さなら、ジャンプすればかろうじて中に入れそうだ。
 ついでに、

「お風呂、入ろうかな」

 包帯もガーゼもとっくに取り払った身体。だけどちょっとだけホコリっぽく感じたのをまずすっきりさせたかった。
 別荘もそうだ。少し離れただけで、こんなにもホコリっぽい。あとで掃除しないとね。

「みんな。でておいで」

 ベルトからモンスターボールを外し、みんなを外へ。空っぽだったプールに水を張れば、ユレイドルやアーマルドあたりがとても喜んでくれる。次第にかさを増していくプールが待ちきれないのか、すでに入ってしまった。

「遊んで待っててくれ。お風呂から出たら、みんなでご飯だ」

 ボクの声に様々に反応をする。エアームドは高く飛び去って、おそらく海の方へ。
 ネンドールはちょうどいい具合に熟れていたきのみに近寄り、あとから追いかけてきたボスゴドラに分けている。

「……そこ、ご飯って言ったよ。食べすぎないように」

 腰に手を当てて彼らに注意すると、ニコニコと嬉しそうにしているから、まぁ、いいか、と笑う。メタグロスが注意深く見張ってるから、たぶん、大丈夫だろう。

「メタグロス。みんなを頼んだよ」

 メタグロスは目だけで頷くと、タイルの敷かれた日の当たらない所でじっとする。
 ボクは眩しい光に目がチカチカし始めてしまい、大きく開かれた窓ガラスをよじ登った。
 滑らないように慎重に身体をおろし、浴室からリビングへ廊下を抜ける。まずは玄関の施錠を開けてから、コートとマフラーを脱いで、コート掛けへ。
 そのまま二階の寝室へ行って、新しい着替えとタオルを持って浴槽へ戻る。タートルネックとジーンズ、着ていた下着すべて洗濯機に投げれば、

「う、冷える」

 誰もいない浴槽。
 素足を落としたタイルは氷のように冷たい。
 足を滑らすと、糸ひとつも纏わない身体にひんやりとした空気が撫でてきた。
 急いで扉を閉めて、ノズルをひねった。あたたかいお湯が勢いよく出て、一気に視界が白く染まる。

「あ」

 変化があったのはそのときだった。
 あたたかいお湯で身体をザアザアに流すと、ボクの背中からなにか零れる感覚がする。
 キュ、とノズルを回してお湯をとめた。
 静まり返ったお風呂場に、ポタ、ポタ、と水滴が響く。
 下を見ると、赤くて茶色いパリパリしたものが、お湯でふやけてそこらじゅうに散らばっていた。
 ボクの皮膚だった。

「火傷痕の」

 ホウエン地方を離れて、それほどの時間が経っていたということだ。人間は、およそ四週間から六週間にかけて皮膚が生まれ変わるという話を聞いたことがある。
 でも、火傷跡は、そうそう消えてなくならない。ホウエン地方を離れたのは、もう一年も前のこと。怪我の治りが早いボクでも、火傷の皮膚が綺麗に剥がれ落ちるまで、それほどの歳月が必要だった。

「もう、そんなに時間が……」

 脱皮したようだった。
 つまり、ボクたちは一ヶ月ごとに身体が生まれ変わるらしい。
 ボクの愛するはがねポケモンたちもそうだ。生まれ変わる瞬間。それは皮膚が新しいものに変わるということ。
 彼らに、むしタイプやドラゴンタイプのように脱皮の習性があるものはいないけど、似たようなものはある。
 ココドラは、新しいはがねを張り付けるのを繰り返し、弱く脆い皮膚はやがて鋼鉄の硬さへと変わる。進化するときは、メリ、と縦に割れて、鎧を落とすように剥がれる。そうしてコドラへ変わる。
 次第に大きくなって丈夫になる身体。彼らの手入れをするたびに、その変化を実感して心がワクワクしていたあの頃を思い出すな。
 はがねタイプはね。何層も何層も重なっていって、丈夫な身体ができていくんだ。
 ポケモンも、人も、変化の形はみんなそれぞれで、様々だ。
 それを教えてくれたのは、きっと──

 

 

「──ミニリュウがいる」

 バトルを終えて、雪山を降りるとき、きみは足をふと止めてそう言った。
 後ろを歩いていたボクは、雪に足を絡めてしまって急に止まった背中にごちんと鼻をぶつけてしまった。大きな背中は微動だにしなかったけど、ボクの様子に気づいて困ったかのように笑って、ボクの鼻のてっぺんを、その、分厚くて固い指がさする。
 やさしく。

「鼻が真っ赤だ」

 くっく、と喉を鳴らして笑う。彼の癖。

「寒さに慣れてないんだよ……」
「マフラー、鼻の上までちゃんと被せて。洞窟はもっと冷えるだろうから」
「洞窟?」

 きみの視線を追いかけると、確かに、山からこんこんと勢いよく滝が落ちていた。でも洞窟なんてどこにも見当たらない。

「滝の裏だ」
「……分かるの?」
「あぁ。……どうやら脱皮をするらしい。これからの春に備えて」
「ミニリュウの脱皮なんて初めてだ。ホウエンには、ミニリュウがいないから」
「手伝ってあげよう」

 そう言ってきみは大きくて丈夫な足を、わっしわっし動かすものだから、その背中はどんどん遠ざかってしまう。遅れまいとボクも足を動かすけど、雪に慣れていなくてときおり絡め取られたり、情けなくも転んでしまったりとして、なんだか上手くいかなかった。

「わぷっ……」

 顔から突っ込んでしまって、雪を払うために頭を振った。

「大丈夫か?」
「……大丈夫に見えるかい?」

 くっく、と笑う声がまた聞こえて今度はム、とした。

「こう、踏みしめるように歩いてみてごらん」

 遠くから大声を上げてボクを導くきみ。置いてかれないように、踏みしめて歩く。雪の深い道を抜けて、大きな滝が流れる岩壁へと辿り着いた。
 ゴウゴウと落ちる音が大きいから、ボクたちは叫び合うように話した。

「洞窟って」
「ここだ」

 降りしきる水から守るように、ボクごとマントで庇う。
 滝がカーテンのように被さって気づかなかったけど、その裏には空洞がある。

「あ」

 小さな空洞には、何匹かのハクリューがまるで身体を温め合うかのように身を寄せあっていた。寒い空気が耐えられないのかと思ったけど。

「いた」

 ハクリューたちの真ん中に、小さな小さなポケモン。まだ皮膚がとろ、としているミニリュウが、身体を震わせていた。
 ボクたちの気配に気づいたハクリューが、警戒心を剥き出しにして唸り声をあげた。

「大丈夫だ。安心してくれ」

 宥めながら近づいていく。

「今年の冬はひときわ雪も酷く、寒かったんだ。だから、上手く脱皮できていないんだろう」
「そういうとき、フスベではどうするんだい」

 聞けば、キョロキョロと辺りを見渡した。

「焚き火をつくってやるんだ」
「なるほどね。それなら任せて」

 ボクはカバンから火打石と小ぶりのナイフを取り出した。彼はそれを見て少し驚いたけど、もう慣れたのか、呆れたように笑ってくれた。

「きみは薪を」
「あぁ、」

 彼があっという間に森からかき集めてくれた薪に、ボクは急いで火を起こした。
 あたたかい空気。木の焦げる匂いに、ハクリューたちは警戒心を解いた。
 ボクたちが何をしようとしたのか、どうやら察してくれたらしい。もしかしたら、この子たちもまた、フスベの人たちに同じように脱皮の手伝いをされたことがあったのかもしらない。
 ハクリューたちは火を囲むボクたちにぞろぞろと近づいてきた。そのうちの一匹が小さくいたいけなミニリュウの首根っこを咥えて、あたたかい焚き火の側へ連れてくる。
 ボクはその右に。彼はその左に。
 二人と焚き火の間で、ハクリューたちに見守られながら、ミニリュウは身を捩り始めた。
 くすぐったくて、こそばゆく、じれったい何かを引き剥がしたい。そんな感じに。

「がんばるんだ」
「がんばれ」
「がんばれ、ミニリュウ」
「きみなら。できるよ」
「そうだ。できるさ」

 二人して、おなじ言葉を繰り返し鼓舞する。おなじ言葉なのに、声の高さとかイントネーションだとか、些細なアクセントの違いとかが、交互に空洞に反響して、なんだか少し滑稽だった。
 ミニリュウが身体をひときわぶるっ、と震わせた。すかさず彼は指を伸ばして、丁寧に撫でる。ちょうど頭から背筋にかけて長い指がする、と撫でると、ミニリュウが大きく鳴き声を上げた。
 彼が誘導するように円を描いて撫でる。ミニリュウも指を追いかけるようにぐるぐる身体を回すと、やがて、薄くて半透明な皮膚が弛んだ。指で摘むと、陽の光で光沢が輝く。まるで絹のように綺麗な皮膚が、ずるりと音を立てて剥けていった。

「もう少し」

 優しく撫でながら、誘導していく丁寧な指にボクは見とれてしまい、焚き火がバグンッ、と爆ぜる音で我に返った。
 すっかり、ミニリュウはツヤツヤの新しい皮膚に生まれ変わっていた。

「よく頑張ったね」

 両手で持ち上げると、ますます光に反射して美しく照り映える。
 ミニリュウは脱皮に疲れてしまったのか無事に終えたことに安心したのか、彼の膝にすり寄って、その上でとぐろを巻いて寝てしまった。
 ハクリューも役目を終えて、奥の暗がりの方へ姿を消す。

「ココドラの皮膚が新しくつくときも、そういえば手伝ってあげていたな」
「剥がれたはがねの皮膚は確か……」
「鉄製品に使ったりしているね」
「ミニリュウの皮も丈夫な皮材になる。これは里のみんなに渡そう」

 寝息を大人しくたてているミニリュウを優しく撫でる。ツヤツヤの皮膚は、とても触り心地がよかった。

「……知らない皮膚」

 触り心地は、全然違う。彼が持つ古い皮膚も確かに美しいのに、まるで別物のように輝いていた。
 新しいということは、つまりそういうこと。

「こんなにも、簡単に剥がれ落ちて、そして」

 剥離した皮膚は、切なく。新しく生まれ変わった皮膚は、そんなこと気にもしないように眩しかった。だから、なんだか少しだけ寂しいようにも思える。
 脱皮を繰り返せば、ミニリュウはやがてハクリューに変わる。ハクリューもまた脱皮を何度も何度もして、そしてやがて。

「次に出会ったとき、知らない存在になってしまうのか」

 ボクの感想に返事はなかった。きみはただ、ミニリュウの姿をじっとり眺めて、そうしてボクたちはしばらく黙っていた。

 

 

「あ、触っちゃだめだよ。アーマルド」

 タオルで体を拭いていると、いつまでたっても戻ってこないボクに痺れを切らしたのか、浴槽の温かい空気に顔をのぞかせたアーマルドが、ふやけたバラバラの皮膚に興味を抱く。顔を低くしようとしたのを手で塞ぐ。プランクトンの類か何かと勘違いしたのか。

「これはね。ボクの古い皮膚だよ。ふふ、なんだかきみたちが進化したときを思い出すよ」

 散らばっていた皮膚は、差し込んだ昼の光に照らされて、キラキラ眩く。まだ張り付けたばかりのピカピカのタイル。シミもカビもひとつもないその上で、相応しくないように目立っていた。
 ひとつひとつ拾って、ティッシュで包む。ごみ箱に捨てればそれで終わり。
 それで終わりなんだけど。
 タオルで体を拭くときも、ワイシャツに袖を入れるときも、靴下も履いて、カバンに少ない荷物を詰め込むときも。
 やたらと、その剥がれ落ちた皮膚があるゴミ箱から痛い視線が背中にチクチク刺さってソワソワした。
 熱い。くすぶった何かが、心臓を焦がした。
 どうしてだろう。じ、と見つめ直すと。背すじがぞわりとした。
 何かに撫でられた感触。あたたかくて、ちょっとくすぐったくて。優しくて、甘ったるい、触り方。
 あれは。あの皮膚は……彼に。

──ぜんぶ、さらけだしてくれ

「なッ……」

 んで、急に。
 彼のことを思い出したのはこれが一度二度でもないのに。それなのにボクはなぜか全身突然骨を抜かれたような思いをして。
 ぶわっ、と身体が震える。胸がドキドキして、身がすくむ。
 よぎった声に、のぼせたように顔が熱くなる。

「久々のお風呂でのぼせたかなぁ……」

 へなへなと、その場で蹲る。驚いたアーマルドが爪でちょいちょい背中を押してきた。ぽんぽん、と片手で頭を撫でる。でも顔はあげられない。

「はは、アーマルド。大丈夫。……大丈夫だ」

 耳を塞ぐ。頭を抱える。それでもダメだ。なだれ込んでくる記憶。
 ずっと、蓋をしめて押さえ込んでいたはずなのに。溢れてきてしまった。
 背中の皮膚を優しく撫でる指の感触だとか。しっとり濡れた肌と肌が重なったぬくもりだとか。
 ボクの火傷跡に触れるたびに、壊れものを安らげようとする優しさ。甘ったるいきみらしくない声。
 その声。
 どうして今になって。このタイミングで。

『怖かったか』

 怖くなかったよ。怖いわけないじゃないか。だから、もう、やめてくれ。抑えられなくなる。おさまらなくなる。

『痛かったかい』

 痛くは、ちょっとあったかもしれないけど。
 それでも。
 きみに触れられた背中は、とても心地よかったんだ。
 次にもし、また会えたら。ボクの皮膚はすべて生まれ変わり、きみに触ってもらったことすべて忘れているかもしれないんだよ。
 それなのに、きみは、あのときボクを──

「勘弁してよ」

 膝に力を入れて勢いよく立ち上がる。
 うー、んッ、と背伸びをしてカーテンを開けた。清々しい陽の光。 庭に通じる窓ガラスも開けると、冷たい風が入り込んだ。
 まだたっぷり入るはずのビニール袋をまるめて、ボクは早くもゴミに出す。
 そうして出かける準備をした。足が、ソワソワするのを抑えられなくて。