六、やがてその光は
アナウンスが、ちょうど真上から流れる。出航予定時刻を告げる内容だった。
壁に吊るされていた大きな時計の針は午後三時を指したばかりだ。まだ、予定まで一時間ほどある。腕を組んで息を深くついた。
問題が目の前に置かれた現実に戻される。
鉄骨が張り巡らされた天井は高く、開放的なはずなのに、カイナシティの船の待合室は人でごった返しだった。
アナウンスの音。船が旋回する音。人々が鉄を踏みしめるコンコン、という音が濁流のように通り過ぎる。
人は行き交う。右へ左へ。ホウエンに降り立ったばかりの人たちが、どっと船から流れていく。観光目的なのか、はたまた仕事なのか。コンテストを見に来た人たちもいるかもしれないな。
逆に出航が待ちきれなくて船の前で足踏みをしている人もいる。子どもは、手すりに登ろうとして母親に怒られる。みな、大きな船に感心していた。出来たばかりの連絡船は、新聞に載っているほど話題だったから。
もう一度、アナウンスを告げる音が真上から聞こえる。
──お客さまへ、繰り返しご連絡申し上げます。本日は、カイナシティ船乗り場をご利用頂き、まことにありがとうございます……
待合室には椅子とテーブルと、簡単な食事を済ませられるようにカフェみたいな作りになっていた。
テーブル席をひとつ拝借して、俺は、少ない荷物を脇に置き、腕を組んで、じ、っと座っていた。
テーブルの上には運ばれたばかりのコーヒーに、新聞に、そして、新品のポケナビ。
『お天気をお伝えします』
滑らかな女性の声が、画面で動いて喋り始める。
その、たんたんと今日の天気を話す画面と俺は睨み合いをしていた。どうしたものか。
『今日もカイナシティからキンセツシティほど、よく晴れて、洗濯物も気持ちよく干すことができるでしょう』
顔をしかめてコーヒーを飲む。
あれからもう、三日が経っている。ダイゴと別れてから。
あの、祝賀会の夜。誰もいない二人きりの廊下で。
まるで酷く傷つけられたかのように顔を悲しませて。きみは何かを言いかけた。
一度も振り返りもせず、俺の手からすり抜けたあの背中は、瞼の裏を未だに焦がしている。引きとめようとしなかったのは、きっと、あまりにも強い紐でダイゴが再び心を閉じてしまったからだ。
蓋を開けてしまった悪臭を、許さない、とでも言うかのように。
それを、無理やりこじ開けたとしてなにが得られる。そんなことは、きっと、ダイゴは求めていないし、俺たちの関係には必要のないことだった。
それでも。
あの夜。あのとき。
浅瀬のほら穴で一瞬だけ見せた寂しげな顔と、きみが今に見せた表情が重なってしまう。
── 一夜の、あやまち
きみの言った通りだ。確かに。俺たちは、どんな形であれ一夜のあやまちを過ごした。
ならもう悩む必要もない。悔やむ必要もない。
俺たちが出会ったことは、気まぐれであって、決して運命とかではない。
偶然が偶然を呼んで、時の流れがどうやったって止められないと同じように、俺たちは忘れるべきなのだ、と。
深く、関わりすぎてはいけなかった。ただそれだけのこと。
護衛の仕事もそこまで。くたびれたスーツももう必要のない。
ネクタイを抜き首を楽にして踵を返した。曲がり角をいこうとしたとき、誰かにぶつかる。
「わッ」
相手が背中から倒れそうになったのを、寸座に手で引き寄せた。彼は慌てて謝罪して、それから俺の顔を見てサッと青ざめた。
「あのッ……、あの! ダイゴさんを、ご存知で」
どうやら、ダイゴを探していたらしい。
「さっき別れたばかりなんだ」
ぶら下げられているネームプレートをみると、デボンコーポレーションの社員だった。スーツを着こなしてないところを見るに、まだ新米なのだろう。
「そ、うでしたか……あぁ、じゃああれはダイゴさんのエアームド……そしてもちろんエアームドに乗っていたのは……ぁ、」
頭を抱えて泣きそうになっている。
「なにかあったのか」
「ダイゴさんに、渡すものがあって。でも、あぁ……忘れてらっしゃる……」
うろうろと、足踏みをして顔は真っ青。言葉の意味が分からなく首を捻っていると、俺の顔をバッと見上げて詰め寄ってきた。
「これをッ!」
「っと……」
硬い感触。
勢いよく渡してきたのは、ポケナビだった。
「ダイゴさんのポケナビです!」
確か、彼はすでに新品のものと交換していたはずだ。
ということはこれは浅瀬のほら穴で故障していた方。修理に出していたものが、戻ってきたというわけか。
それを、グイグイと俺に押し付けている。
「貰ってください! あなたに!」
その言葉に、目を見開いた。
「ダイゴさんと仲がよろしいんですよね! あの人、どこかに行ってしまうと本当に居場所が掴めないことで有名なんです……」
仲がよろしい。どこでそう思ったんだ。
「父親に渡した方が確実だと」
「恐れ多いですよッ、この通りです!」
悲鳴に近い声をあげて、両手を顔の前で合わせる。
「ダイゴさんがいらなかったら、あなたが使ってください! 初期化してますので!」
「いや、俺は……」
貰っても困るだけだ。ダイゴと、もう会うつもりはない。
「お願いしますッ!」
だが、断る言葉も待たずに男は吹っ飛ぶ勢いで走り去ってしまった。
呼び止めようとした手だけが虚しく宙に浮かぶ。
ぽつ、と、廊下には俺だけが取り残される。だらんと力を抜いた。その手にある、きみのポケナビの起動音が聞こえた。力を込めてしまったはずみで、なにかのボタンを押したのか。
「……まるで、」
まるで、呪いのようだ。
もう関わらないと決めたはずなのに、それなのに偶然は俺たちを絡みつかせる。
ため息を、つくしかなかった。
きみが離れてしまえば、それを追いかけるなんてしない。きみがラインを引き直したのだから。
そう、決めたはずなのに。
「──チケットをお持ちでしょうか」
声が突然降ってきて、ポカン、としてしまった。豪華絢爛なホテルの廊下は溶け消え、いつのまにか鉄骨の背景に、波の音に人の足音がざわめく。
ピントが合っていく。目の前には、キチッ、と添乗員の制服を着こなした女性が俺を見て心配そうに首を傾げた。
彼女の後ろには大きな船がそびえていて、今にも客を迎えようと入口がぱっくりと口を開けている。
俺は、その間にある鉄橋の上で突っ立っていた。
時計を見る。午後の四時少し前。
「お客さま?」
「……すまない、今用意す──」
チケットを懐から出そうとして何かが落ちる。鉄が衝撃で揺れる音。足元に落ちたそれで、キャ、と女性のヒールが驚いて跳ねた。
目を、見張る。ゴロリと転がったものに。しゃがんでしっかりと認識した。
手を伸ばして拾い上げる。冷たい。硬い。
彼が、他の誰でもないダイゴが俺に押し付けた、
「…………ッ」
たったひとつの、隕石。星のかけらがそこに落ちていた。
静かな波の音、そして。
──また、会えるよ
──また、ね
コーヒーと潮の香りをひきつれて聞こえた声は明確だった。
──これは、嘘偽りなんてまったくなく、本心なのだから
じわ、と、握りしめた隕石がしめった気がした。
ふーー、と息をつく。そして勢いよく立ち上がった。 添乗員の女性がどうしたらいいか分からず大きな目をパチパチパチ、とさせた。
「あ、の……お客さま?」
「悪いね、お先にどうぞ」
振り向いてそう言うと後ろに並んでいた客が肩を震わしてビビる。
「……行き先を思い出したんだ」
許せないことは、二つ。
すれ違いざまの客が俺をちらりと見ると、すっかり恐怖に変わって怯えたような顔をサッと背ければ、慌ててカバンからチケットを取り出している。
そんなにも酷い顔をしているのか。
マントを羽織りなおして待合室をあとにした。
