第五話 せをはやみ
ワァァァ、と歓声が響きわたる。どこからの歓声だろうか。
きっと、みんながみんな、祝福したい瞬間だったから。
光はこれ以上なく輝いて、キラキラとその子の元へ落ちていく。まるで、主役に降りかかるように。
それは、
「勝者!」
かつてボクが持っていた光。
「挑戦者──」
耳が、痛い。遠ざかっていく立ち会い人の声。
消えていく。ボクだけが、ポツン、と取り残されたみたいだった。
身体はボロボロで、手元にはかけがえのないみんなが酷くやられて瀕死状態だ。みんなよく頑張ったね。
ほんとうに、よく、がんばった。
ボクたちは、ボクたちの全力を出せたよ。
また歓声があがった。どこからの歓声なんだろうな。幻のような、儚いような。
そう思えるのはボクがきっと、誰よりも祝福したいと思っているからなのか。
この場には、あの子と、ボクしかいないのに。確かにあの子はたくさんのものから祝福されていた。
たくさんのもの。それは、人や、ポケモン。
あの子が今までに出会ったすべてから、祝福されている。
あぁ。そうだね。だから。
ボクは、なんだかじわっ、ときてしまって。
目は熱く、手は、皮膚がくすぶったようにとても痛かった。溶けてしまいそうだった。
なんでだろう。なんで、ボクは、今こんなに震えているんだろう。
ぬるあたたかいものがボクの拳を伝って落ちていく。
血だ。
自分が傷つけた爪のあとをぼんやり眺めた。手が痺れる。じわじわと滲んだ痛みで震えている。これは、なんだろう。焦りなのか。悔しさなのか。それとも、なんだろう。なんだろうか。
この、気持ちの正体は。
心臓がドクドクする。波紋が広がって、どんどん大きくなって。
零れ落ちそうななにか。溢れ落ちそうななにか。留めておきたくて、顔を上にあげた。
「…………ふぅ」
悔しい、とか、それだけじゃないんだ。この感情は。この、胸を熱くして、じーんと滲む気持ち。混ざりに混ざって溶けていって、ボクの一部に変わっていく。
歓声の正体はこれだ。胸の奥底で響き渡る歓声は、ボクの心臓の音が大きくなるものだったんだ。
ボクから溢れる歓声だ。
「……、ダイゴさん」
あっけに取られて広い大部屋をただ眺めるばかりだったあの子は、ようやく自分が勝った事実に気がついてボクの名前を呼んだ。
ボクもそうしてその顔を見下ろした。
おでこには汗がしっとり滲んでいて。息をはぁ、はぁ、と荒らげている。小さな身体。小さな顔。小さな、声は大きな部屋に溶けて吸い込まれていく。
白熱したポケモン勝負にランランと燃えていた目は、いまはぽかん、として、その表情は子ども相応に見える。
勝負のときはあんなに、あんなに、どんな大人よりも自信に溢れた顔だったのにね。
でもボクは誰よりも知っているよ。きみのそのグローブのなかには、たくさん努力した傷が隠されていることを。その歩いてきた道の途中、どんなものに出会ってきたかを。
頑張っていた姿を。
「ダイゴさん……ッ」
続ける言葉が見つからないのか、ひたすら、そうしてボクの名前を呼んだ。
……なんだい、その顔は。きみ、勝ったんだよ。
そうだよ、勝ったんだよ。他の誰でもない。きみが、……ボクに。
あのとき、石のどうくつで出会った日に感じた予感は、間違ってなかった。その胸の高鳴りが、今、歓声に変わったんだよ。
だけどね。分かるよ。ボクも、きっと同じような顔をしているはずさ。
この気持ちは、感覚は、初めてだったんだ。きみもなんだね。
小さい目に映るボクの顔は、かつてボクが打ち負かした相手。つまり、大人たちの顔と一緒だった。
そっか。
ボク、負けたんだ。
「おめでとう」
悔しかったけど。たまらなく悔しかったけど。それでも、それ以上にね。
「きみこそ、ホウエン地方の新しい──」
ポケモンをおもう気持ち。すばらしい以外の言葉が見つからないだろう。
ホウエン地方での旅はどうだったかな。豊かな緑溢れる、たくさんの縁で結ばれているこの地方が、ボクは大好きなんだけど、きみもそうなっていたら嬉しいな。
いや、ボクはこの勝負を通じてその確信を得たよ。きみは、ホウエン地方が大好きになってくれたよね。
役目を終えられたとき、それは誰かにその光を受け継ぐことだから。
きみだったから。
──ねえ、ポケモンはこわいものだと、おもったかい?
きみで本当に良かった。
──でもそんなことはないんだよ
だって、きみは。ポケモンのこと、大好きだろう。どんなポケモンでも大切にするだろう。愛するだろう。それだけじゃなくてね。
──ポケモンってほんとうはもっと……
きみなら。きみは、出会ったすべての光をふんだんに受け取って、抱きしめて。やがて溶け込んだものをきみ自身の光に変えてくれたのだから。それがボクは。
──……いやきみならそんなことはもうとっくに、きがついているよね
心の底から、嬉しかったんだ。
ありがとう。
そしておめでとう。
本当に、おめでとう。
『見事防衛戦を守り抜きました! 圧倒的な強さ!』
「もうお済みですか?」
「え」
箸を持ったまま固まった。顔を横に向けると、不思議そうに首を傾げる看護師さんが、
「お食事」
と、繰り返した。目線を下げると、乳白色のトレーの上に乗っていた皿はすべて空だ。
今日は退院の日。病院のご飯も最後だと思うとなんだか寂しかったりもする。
折れた肋の骨も、破けた内臓の皮膚もすっかり元通りらしい。
あとは目で、まだ瞬きを繰り返したらちょっとぼやけたり、白いモヤみたいなのがかかったりする。今朝起きたときはほとんど問題がなかったので、昼の検査を最後に一応退院とのこと。
ご飯を食べていたとき、ちょうど向かい合っていたテレビにはシンオウ地方の防衛戦の映像が流れていた。あの番組、確かミクリからボクにオファーが来ていた全国放送のものだ。彼女のものに差し変えられたらしい。
『女帝シロナ! 負けることを知らず!』
たくさんの歓声に包まれて、一人の女性の顔がアップで映し出される。
『シロナさん。あなたの強みについてなにかコメントをどうぞ!』
肩にかかった長くて綺麗な金色の髪を手で払うと、彼女は自信満々に笑う。
『そうね。ポケモンと人の思いがお互いに強ければ、なんだってできる。あたしはそう思うわ』
ほぉー、と、インタビュアーはその言葉に声を上げた。
『みんな、そのことを忘れないでほしい。勝ち負けなんて、結局は過程にすぎないの。大事なのは、それからどうするか。それまでどうしたか。そして勝負のとき、いかに全力を尽くすか。真っ直ぐであればあるほど、ポケモンはきみたちの気持ちに必ず応えてくれる。つよくなるって、そういうことよ』
その言葉に夢中になったのは、ボクだけじゃない。すごく、分かる。惹かれる言葉だ。素敵な言葉は、彼女の高みから見える景色なのだろう。
『負けることを恐れてはダメ。勝つことにこだわりすぎるのも無駄ね。大事なのは、どんなことがあっても、ポケモンのことをずっとずっと、好きでいつづけること』
負けた瞬間は、悲しいし辛いし悔しいし。
でも、そこで決して終わりではない。ゴールはきっと、ずっと先なんだ。だけど、
『勝負するときは、いつだって──』
もう死んでもいいかな、って、常にボクは思ってしまう。それほどの価値が、あの場所にはあった。
強い人と戦えるだけでなく、色んな人とポケモンに出会える。ポケモン勝負をすれば、その人のすべてが一瞬で流れ込んでくる。その人がどんなことを頑張ってきたか。どんな風にポケモンと付き合ってきたか。
そして眩いほどのきらめきには、別れが必ずつきものだ。
ボクは、それが愛おしい。
たまらなく、愛おしい。
