「うん、ぴったりだ」
鏡の前で、むっすりとした顔をした俺に、彼はそう言った。
抵抗する、反抗する、拒否する、断ることも出来ずに、半ば強制的に連れていかれた場所はカナズミシティ。トクサネから、ジェット機であっという間に誘拐されて、着いた先は小綺麗な仕立て屋だった。
ほおり込まれた試着室。服を着るだけにしては広すぎる空間に、お待ちしておりましたと丁寧にお辞儀をするテーラーを見て、俺はようやく自分がもう戻れないところまで閉じ込められたと気づいた。手際が、あまりにも慣れている。
「ただ、立っているだけでお金がもらえて、美味しいご飯も食べられて、楽しい話もできる仕事なんてなかなかないと思うんだよね」
「護衛はそんな仕事じゃないだろ」
「役得だな、ぐらいでいいんだよ」
ダイゴは、つまり護衛という建前を用意し、職権を乱用し、俺を祝賀会に付き合うという口実にこじつけた。ボロボロになった私服は取り上げられ、代わりに俺の前に出されたのは、あまりにも仕立てがよすぎるスーツ一式。靴にインカムもついてきた。
「……ふふ」
ダイゴがまだ締めていないネクタイをひとつ手に取って渡してきた。暗い紅色がしゅるりと音を立てる。
「……なにかな」
「すごく、似合っているから」
「きみ。楽しんでるな」
この状況を。
渡されたネクタイを締めてダイゴの方を向く。
彼もいつの間にか小綺麗なスーツを身にまとっていた。いままでに見たことのない、フォーマルさが強い暗めのグレーのスーツ。いったい何着持っているんだ。もしくは、今繕ってもらったのか。ありえるな。
「せっかくだし、繕ってもらえばよかったな」
「そんな時間はないだろう。きみ、遅刻なんだぞ」
気にもしてないダイゴはゆったり笑うだけ。
「スーツぐらいさ。一着持ってもいいと思うんだけど。ボクからのプレゼント。どうかな」
いらない、と言った。プレゼントをこれ以上貰っても困るだけだ。隕石の件をもう忘れているのか。
「きみのような身分ならね。俺には必要ないだろ」
「そんなことない」
ダイゴはふるふると首を振った。不満げに俺のネクタイに触ってキツく結い直す。
「男前だから、とてもふさわしいよ?」
「……言葉だけありがたく受け取る」
「のんびりしていて。食事も、談笑も、」
仕事なのだから前者も後者もしてはいけないと思うが、と、声には出さなかったが、ダイゴにははっきり伝わったのか、
「誰も咎めはしないよ。きみの容姿が特権になる」
反応に困る言葉だけをその場に置いて、そして彼は父親の元へ姿を消した。
ぐるりと見渡す。会場はカナズミではかなり大きめのホテルの宴会場で、ざ、と規模は百人ほど。主催のデボンコーポレーションはもちろん、シルフカンパニーの重役、イッシュやカロスの方の関係者も見られた。ホウエンリーグの四天王も一人、横切って目に入る。
これじゃ、バレるのも時間の問題だろうな。
俺はなるべく人目のつく角から、ダイゴの姿がギリギリ見える位置に移動した。後ろにはバルコニーに繋がる大きな窓が控えていて、その横の壁に。
髪を少し崩し、念の為と用意した伊達眼鏡をかけ、腕を組んで仁王立ちする。周りは商談と談笑と、見合いと、企業に有益な話でどっぷり浸かっていた。
ダイゴは、その輪の中心に潜っていた。
一人の女性がダイゴに話しかける。
ダイゴが応答する。女性は花が咲いたように頬を赤らめて俯いた。口角は初々しく笑っていて、その女性の隣にまた別の男性がダイゴに握手を求めた。
ダイゴは張り付いた笑顔で応じた。
あぁ。好意を頭から被ってつま先まで浸かる環境とはまさにここにある。
そして確かにその場に居合わせているのに、どこか他人事のように俺はその光景を見ていた。
ガラス張りにされた向こうの部屋を眺めているようだ。
そうか。
ここにはホウエンのおおらかさも、優しい匂いも、存在しない。ダイゴがなぜ俺を連れてきたかったのか、真相は分からないが、理由はなんとなく想像できた。
試している、のか、それとも。
「ふふ」
誰かが俺の横で笑った。ちら、と見ると、背の高い男が、乾杯酒を片手に、長くてスラ、っとした人差し指を口に寄せて笑っていた。
パチ、と目が合う。綺麗な顔をしていた。
「失礼。あまりにも眉をひそめているもので」
「……アルコールの匂いが少し、苦手で」
「それは失敬」
美人な男は通りがかったボーイを呼び止めてグラスを提げてもらった。
「ところで、」
その代わりに水の入ったグラスをボーイから受け取って俺の横に近づく。
「どう思いますか。ダイゴの……周り」
「……」
少しだけ俺と彼はお互いに身体を寄せあった。声を潜めて、ごくごく自然な「なり」で答える。
「向かいの女性はおおかた企業のご息女。初心で、まだ若く、パーティ慣れをしていないのをダイゴがエスコートをしている」
「ビンゴです。続けて」
「……変な気があるのは、男の方だ」
影になって見えないが確かにダイゴの腰にいやらしい手つきで引き寄せている。
「助けなくていいのです? 護衛なのでしょう」
まるで試すように俺を見て笑った。
「ご冗談を」
ちょうどダイゴの目の前に父親が現れた。さ、とダイゴが近づくと彼の周りにまとわりついていた嫌な輪が一瞬で崩れる。
ダイゴは相変わらず笑っていた。平気そうに。
「あんなに平気な顔をしている男に、手を差し出す方が無礼極まりない」
男は、フッと笑った。
「違いないです」
空になったグラスを見つめたあと、男は目の前に出された事実を並べ始めた。
「ここは、ダイゴの世界。小さい頃から染みになっている。そして一時期は離脱した世界」
長いまつ毛が目を開けることで揺れた。横顔はあまりにも凛々しく美しく、強さがある。女にも見えるその表情は、ひたすらに形容しがたくダイゴとその周りを心配そうに眺めた。
「わたしたちが、踏み入れることのできない線がびっしり引かれている」
「……できないわけでは、」
「おや」
「しないだけだと、」
その答えに、ぱち、ぱち、と瞬きをすると、顎に手を当てて俺の身体をジロジロと眺める。何かに納得したかのように。
「ダイゴ次第かな、とは思っていたけど……」
敬語が崩れた。本性を露呈して演技じみたことをやめると、気持ちよく微笑んだ。嬉しそうに。小道になにか不思議なものを見つけた子どものように。
「ふふ、分からないね。今回ばかりは」
男は、す、とまた真面目くさった表情に戻した。
「ところで、嘘はいけないと思いますが」
「…………嘘?」
「アルコール、本当は得意なのでしょう?」
「……」
目を細めながら妖艶にも疑って笑った男に、訂正を。
「洋酒慣れしていない」
その言葉に美人は満足気に笑った。
輪を離れたダイゴがちょうど俺の横にいた人物に気がつくと足早に駆け寄ってきた。隣の男が手を軽く挙げて反応する。
「やあ、ダイゴ」
「ミクリ、来ていたんだ」
「きみが到着する三十分前には。昨日は、凄かったよ、それはもう」
ダイゴはバツが悪そうに口をもごもごさせると、ごめん、と素直に手で謝った。そして俺に向き合って、
「紹介するよ、ワタル。彼が前に話したミクリ。ボクの友人さ。ミクリ、彼はワタル」
「はじめまして」
ミクリと呼ばれた男が握手を求めた。その綺麗な手をなるべく傷つけないように受け入れる。にしては、握りしめる力が思いのほか強くて立派な男だと分かった。
「きみのことを話題にしてたんだよ。おやじ、まだ来ていないと思っている」
「おや、それじゃあ挨拶に行かなくてはね。……では、わたしはこれで」
仰々しく胸に手を当て軽くお辞儀をすると、彼は、さっ、とその場を離れた。ダイゴの父親の元に辿り着くまで、何人か話しかけられるのを嫌ともせず対応して、紳士なりに消えていく。
横をちらりと見るとダイゴも同じ方を見て、彼の姿が消えるのを確認すると、ほ、と息をついた。
「……疲れた顔をしてる」
「うそ」
ダイゴはそう言って自分の頬にぺったり触った。
「……見破られるなんて、ミクリ以来かな」
通りがかりのボーイからグラスをさらってダイゴに渡した。ありがとう、と言いはしたが彼は飲まずにただ水面を見つめる。
「気にしなくていいんだよ」
ゆらゆらと、ワインの香りをまず堪能しながら、それでもダイゴはまだ俺が渡したそれを飲もうとはしなかった。
「みんな、中身なんてどうでもいいから」
ダイゴはそう言って眉を垂らして笑った。困ったかのように。
小さい頃からのその環境にすっかり慣れてしまったように。
「億劫かい」
「え?」
頃合だと判断したグラスを傾けようとした手をダイゴは止めた。
「共に生きる誰かを決めるのは」
「あぁ、そういうこと」
反応は鈍く本音をこぼす。
「縛られるのが、あんまり好きじゃない、ってのもあるけど」
そう言いながらグラスを持ち上げて、
「でも共に生きる人を選ぶことと、用意されたものは別だよ」
クイ、と呑み込んだ。ワインの香りはここまで漂う。うん、おいしい、とダイゴは頷いて、一口どうかな、と俺に勧める。俺は断った。
「律儀だね」
「仕事じゃなければな」
「……きみらしい、って言ったら生意気?」
「生意気というよりは、いたずらっ子だね」
ふふ、と、ダイゴは笑った。グラスに唇をつけて、
「選ぶなら、自分の意思で決めたい。いつだって」
「…………」
ダイゴは黙る俺をみて興味津々に目を輝かせた。
「心配してくれたのかい?」
「今だけはね」
「ふぅん?」
「今だけは、きみの護衛の立場なのだから」
そう言うと、ダイゴは俺を引き寄せてカーテンの裏に隠した。両開きのその窓には、少し隙間があった。連れ去られる。
大きな窓から繋がっていたバルコニーには、二人きり。風ではためく、唯一姿を隠してくれるカーテンは、こころもとない。だけど、
「じゃあ、そのスーツも建前も、ぜんぶ脱ぎ捨てたら」
眼鏡を取り上げられる。それを自分の胸ポケットにしまった。
ダイゴは、俺の首をきつく締め上げているネクタイを掴んで引き寄せた。
鼻と鼻が、ぶつかりそうになる。 片手の赤ワインが零れそうになるのも気にせずに。
目はまっすぐと俺を見つめて。
「ボクにさらけ出してよ。きみのすべてを」
キスをされる。
