玄関を開けると、太陽がすっかり身体を持ち上げて空に浮かぶ最中だった。海辺からまっすぐ伸びる輝きは、冬の朝の涼しさを打ち消す。
潮の香りが濃く漂う。海辺特有の、朝の静かな凪だ。トクサネは、すでに自然の音だけで賑やかになっていた。
ダイゴは俺がついてくることがさぞ当たり前のように、一度も振り返ることもせずにまっすぐ自分の家から、トクサネの街を横切り、宇宙センターも横切って、人気のまったくいない浜辺へと導いた。
風もない静かな浜辺には二人きり。
波の音もしない。ただ潮の香りだけが鼻をツン、とさせた。
ダイゴがようやく振り返った。後ろに控える、まだ低い姿勢の太陽が逆光になって、彼の表情は真っ黒だった。
光が反射して銀の髪だけがキラキラと俺の目を焦がす。
太陽が少しだけ高く背伸びをした。影がズレる。大きくズレる。ズレて、ダイゴの表情が下から徐々に明るみに晒される。
「約束したから」
ひたすらに口は笑っていた。鼻を赤らめて。そして光はまた、高くなる。
「ぶつけて。きみのすべてを」
金属がぶつかりあう音がダイゴの手元から聞こえた。いつの間にか手にはモンスターボールを持っていて、もう投げられる寸前だ。
俺は構えた。ベルトには四つのボール。どの子が戦闘にふさわしいか。
考えるだけで胸がグラッと熱くなった。鼓動を早めて流れる血液は全身をめぐり、脊髄からまっすぐ脳を目ざして電流が走る。
しびれた。手が震える。呼吸も、口角も。
迫り来るこの音はよく知っている。鼓膜を刺激し、心臓を殴り、俺の後ろに迫ってくる。ドンドンと、大袈裟に歩み寄ってくるこれは。あれだ。
そして、ようやく、ダイゴの目が、明るみに──
「──ダイゴさん」
なるのを遮る影ひとつ。こほん、と咳払いをした。
「…………」
「…………」
ダイゴが、横を見た。俺も、横を見た。
そこには、確かにさっきまで誰もいなかったはずの砂浜にくっきりと足跡がついていて、辿った末には背の高い男がダイゴを睨んでいた。
風が、びゅう、と吹いた。凪が終わったらしい。
静かだった砂浜に波の揺れる音と、洞窟がいななく音、そして、ゆるやかにトクサネシティの喧騒がなだれ込んできた。ロケットが打ち上がった音と燃料の匂いが漂う。潮の香りは打ち消えて、遠くで拍手が輪を広げて大きくなるのが聞こえてきた。
今、何時で、俺はどれくらいダイゴと睨み合いをしていたのだろうか。
「あッッ!」
ダイゴが飛び跳ねた。
劈くような悲鳴をあげると、ドッ、と、汗が表情に流れる。
「……忘れ、てた」
口元に手をやって顔面は蒼白。男はまたじっとりダイゴを睨んだ。
「ポケナビ、壊れてた……から」
「社長が、昨夜から、……お待ちです」
「……いや、その、」
「お待ちです」
たじたじなダイゴの様子に慣れているのか男はジリジリ近づいてきた。小綺麗なスーツはおそらく朝から働いている証拠だ。ダイゴがう、と顔をひきつらせた。
両手を上げて、降参の格好を。
「昨夜、連絡はつかず、在宅でもなく、ポケモンは置き去り。しまいには、涼やかな朝に名残惜しそうに浜辺で逢瀬」
「逢瀬じゃなくて」
「今必要なのは言い訳でも勝負でもなく、時間に少しでも間に合うことです。さ、支度を。逃げられませんからね」
致命的だな、と、他人の俺でもだいたいのことが把握できた。おそらく何か昨晩予定があったのをダイゴがすっぽかしたのだろう。
男の様子を見るに、一度や二度じゃないのかもしれない。
「事故だったんだよ。ポケナビは改良すべきだ。いますぐにでも」
「言い訳はらしくありませんよ」
「目と目があったから……ほら……」
「私と目が合いました。そこの彼よりも早く。ならば、勝負する相手はわたしの先の祝賀会です」
うまいな。俺は心のなかで感心した。お預けされた不満はとっくに忘れられるほど、それほどダイゴの困り果てている反応は面白いものだった。
気づかれた。ダイゴがじっとりと俺を睨む。俺は、にっこりと笑った。
いっておいで、仕事に。
ダイゴがますます顔を顰めた。
「わかった」
決心したようだ。にしてはやけに素直で、なにか悪巧みをしたかのように頷いた。
二回、頷いた。
使うことの出来なかったモンスターボールを腰にしまいながら、
「彼も、連れていかせて」
そう言って俺を指さした。にっこりと笑って。
は、と驚いたのは男だけではなかった。風がいっそう強くなる。
朝は終わった。もう、昼だ。
