燃ゆる彗星①〜⑤ - 12/18

 テンガン山の暗い洞窟で、手探りでカバンの中身を探る。いつも使い慣れているものだから、目に見えなくても触り心地でどの道具なのか分かる。困ったことはない。
 まずは灯油式のカンテラを取り出して、油を注ぐ。前使っていたものはすっかり壊れてしまったから、仕方なく昔使っていた旧式のものを慌てて取り出したけど、ちょっとこれが面倒臭い。油のツン、とした臭いが鼻をくすぐって、思わずくしゃみをした。静かな洞窟に反響してしまって、思いのほか大きな音だったから、隣でゆらゆら揺れていたユレイドルが、びっくりして、キュ、と触手で顔を隠す。昔からの癖だ。

「ごめん、驚いた?」

 ユレイドルがボクの腕に一本の触手をおずおずと絡めてきた。怯えたとき、怖いとき、甘えたいとき、彼女はリリーラの頃からこうしてボクにしがみついてくる。
 手袋を外し優しく撫でて、落ち着かせる。手のひらの触り具合が心地よいのか、もっともっと、というかのように触手を絡めてくる。

「火を使うから、気をつけて」

 ユレイドルが掴んでいない方の手を、またカバンに伸ばすけど、

「あ、」

 マッチがなかった。

「買い忘れたな」

 代わりに取り出したのは小ぶりのナイフと、そこら辺に転がっていた火打ち石を研磨したもの。あらかじめ用意していた、積み重ねている薪のうちの一本を手に取って、ナイフで木片の先っぽが花びら状になっていくよう削っていく。

「ユレイドル。ちょっとだけ、手を動かさせてね」

 削った薪を固定し、火打石をナイフでコシュ、と擦る。摩擦でバチ、と火花が散るけど、点火はしない。何度か繰り返すと、バチッバチッと火花が大きくなって、やがて焦げ臭い匂いが広がった。薪の先端で煙を上げて、オレンジ色の火が灯る。
 じ、とボクの手元に釘付けになっていたユレイドルの目が、炎に照らされてゆらゆらと光を滲ませていた。
 触手の一本を、火が灯った薪に伸ばして興味津々に掴む。

「ふふ、手伝ってくれるのかい。ありがとう」

 ユレイドルはボクの腕を離すと薪を、積み重なっている焚き木にほおり投げた。たちまち火が広がり、暗かった洞窟が明るくなる。
 パチパチと爆ぜる音。焚き火の匂い。

「みんなお腹すいたよね。ひと掘りする前に、まず、なにか詰め込まないと」

 ユレイドルが嬉しそうに鳴き声をあげて、触手をゆらゆらさせた。カバンからみんなのご飯を取り出すと、そのとき、取っ手にくくっておいたリングがカラーンと音を立てて転がり落ちる。
 首を傾げた。

「ん、あれ」

 そのリングに通していた大切なものが消えていたことに今気づいて。

「ない」

 別荘の鍵が、ない。

「まずったな。……あ」

 あのときだ。
 レストランでバトルが勃発したとき、テーブルの足にわざが被弾して、折れてしまった。テーブルの上に乗ったままの皿もカップもなにもかもぶちまけてしまって、奥さんのドレスがひっかかってしまう。食事するどころではないな、と、その場を離れたひずみで、カバンから外れてしまったのだろう。

「……戻るべきか」

 手に指を当てて考える。でも離れてからもう翌日なわけだし、おそらく誰かが拾ってホテルの受付に届けているのかもしれない。

「まさか本当に無くし物が多いとはね」

 苦笑いした。こういうところ、ボクはどこか抜けているんだよな、って思う。
 おやじもそういう人だった。シンオウ地方に旅行しに来た幼いあの頃、おやじと一緒にテンガン山で採掘をした。ボクもおやじも顔を泥で真っ黒にさせて、楽しいね、と笑い合いながら夢中になって採掘をした。
 火の付け方も、カンテラの扱い方も、凶暴なポケモンにもし遭遇した場合も。
 怪我の手当て、迷ったときの道調べ。そして、採掘の仕方。コツ。ルール。
 すべて、あの人から、一つ一つ丁寧に教わった。おやじは教えるのがひときわ上手い人だった。言葉が巧みなのもそうだったけど、なにより凄かったのは、実践。
 ボクの小さな手が、大きなハンマーを握る。上手く力が入らなくて、困っていたボクに、おやじの大きくて分厚い手が上から重なる。

「ダイゴ。力の入れ方にコツがあるんだ」

 一緒に振り上げて、一緒に打つ。力の入り方がちょっと失敗してしまって、埋まっていた大きな鉱石にちょうどクリティカルヒット。最悪なことに、一部が欠けて転がり落ちた。
 二人揃って目で追いかけると、やっぱり、どこか不格好なその鉱石は、鈍く濁っているように見える。
 困った目をおやじに向けると、おだやかに笑っていた。失敗なんてしてないさ、となだめるように。

「握ってごらん」

 言われたように、掘り出した石の欠片をぎゅ、と両手で握る。おやじはカンテラを持ち上げて、ボクの両手の上にかかげた。
 ぼぉ、と白く色づくボクの手に、隙間からキラキラと眩く光る鉱石。

「あたたかいだろう」

 不思議と、その通りだった。冷たい石は、ボクの体温が染み込んで、徐々にあったかくなっていく。

「開いて」

 ゆっくりと、手を開かせてまろびた大きな石。カンテラのオレンジ色の光があたって、ボクの白い手とコントラストを描いた。キラキラと、目を焦がす。綺麗だ。本当に綺麗で、なんだか泣きそうになる。

「美しいだろう。ダイゴ。これはな、お前の美しい一面に溶けゆくんだよ」

 おやじがカンテラを地面におろし、ボクが掘り出した石を撫でる。その手つき。愛おしむ動きは、ボクの頭を撫でるときと同じ感触だった。

「忘れるなよ。そして、見失うな。お前がやがて、何になるのか」

 黙って何度も何度も頷くと、おやじは歯を見せて笑った。
 そろそろ帰らないとな、とおやじがカバンに道具をしまいだすと、ハッ、と青ざめて立ち上がった。

「しまった、ダイゴ」

 おやじがポケットをひっくり返して言った。パラパラと砂が落ちるのをボクはポカン、と見上げる。

「別荘の鍵が、ない」

 おやじがマジメくさった顔でキリッ、とした。なんだかおかしくて、ボクたちは二人揃って吹き出してしまった。
 二人の笑い声は、洞窟中に響き渡って、とてもうるさかった。
 別荘の鍵は、結局見つからなかったけど。

 笑い声は吸い込まれて、洞窟の環境音に溶け込む。目をゆるりと瞑って、やがて遠のいていったおやじの声を、何度も何度も噛み締めた。そんなこともあった。もう遠い昔の思い出。
 美しいもの。綺麗なもの。ボクが目指していたすべては、いつだって輝いていた。自分の周りに張りついたボクの欠片は、きっと、揺るがなき自信だった。
 でも、最近、特に最後の防衛戦をきっかけに、ボクの身体や心で、なにかバリバリと剥がれていく感じがしてならなかった。
 ソワソワした。どうしてか、分からなくて。
 心細かった。いままで抱えていた、張りついていた皮膚が、無理やりというよりかは、そういう時が来るのを、ず、……っと待っていて、自ら望んで剥がれ落ちていってしまうかのように。
 抗うことも出来ず、自然な流れだったかのように。
 皮膚が生まれ変わることが、どうやったとしても、止められないかのように。

「生まれ、変わるみたいだ」

 自分の心も、身体も。いままで得てきた思い出すべてごと。
 そしたら、何が残る? どこに? ボクは、ちゃんと残せているだろうか。
 長い長い火山活動の中。茹だるマグマの海が、山の奥底で冷えて、長い年月を経て、徐々にかたまっていく鉱石たちのように。
 ボクが、残すものが美しくなるには、あとどれだけの時間を有するのか。
 ハンマーを握ったまま伸びをした。振り返ると、ユレイドルがなにか見つけたのか、奥の暗がりのほうへ行ってしまう。

「ユレイドル。焚き火の元から離れてしまうと、危ない……ユレイドル?」

 様子がおかしい。なにかに引っ張られてしまうような。暗い深淵に引きずりこまれてしまうように、行ってしまう。
  パリ、というひび割れの音が聞こえた。まずい、この音は。

「ユレイドル、戻るんだ」

 ハンマーをすかさず手放し、立ち上がって焚き火にバケツの水をぶっ掛けた。辺りが真っ暗になり、シン、と静まる。
 パリ、ピキ、という音が大きくなって。

「戻れッ! ユレイドルッ!」

 足を蹴り、走る。モンスターボールを投げて、ユレイドルをボールに戻した。まずい。
 まずいのは、ボクの身体だ。
 パキ、という音。身体がずるん、と滑る感触。足元がバラバラに崩れ、ガラスが割れるような大袈裟な音がボクの身体と一緒に落ちていく。
 最後に。

”おちてみなよ”

 耳元で囁く声。ねっとりとした手がボクの肩に触れる。振り返った先。

「きみは──」

 ドンッ! と。次の瞬間、背中に衝撃が走り、ボクは奈落の底へ真っ逆さま。転がり落ちて、内臓が押しつぶされるような痛みが走った。
 後ろには、誰もいないのに。
 確かにあれは、ボクの声だった。

”うみや かわで つかまえた
ポケモンを たべたあとの
ホネを きれいに きれいにして
ていねいに みずのなかに おくる
そうすると ポケモンは
ふたたび にくたいを つけて
この せかいに もどってくるのだ”

 不思議と思い出して、反響するお話。
 どこで聞いた話だっけな。
 頭の中で、水に砂糖が溶けるように吸い込まれて、わからなくなってしまう。
 ぐらぐら。ゆらゆら。
 鈍痛はやがて足から全身へ回る。そしてボクは鉛のように重くなって、けだるくなって。
 指先ひとつもぴくりとも動けなくなった。
 死ぬらしい、と気づいたのはまぶたが下りて、真っ暗な世界が訪れたときだった。
 もし、目が覚めたら、ボクは。
 なにに、なっているのだろうか。